犠牲を忘れた現代 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

クーガーのブログ-恵み

本日は初不動の縁日。

そうした仏様の縁日にちなんで、命について書いていこうと思います。

私の義理の弟のバンド「T.C.S.T]の歌の中に「バンザイアタック」という歌があります。

その歌を聴くたびに、私は忘れてはならない日々の感謝を思い出します。


最近は、西洋が優れ、日本の文化、風習、知恵は疎かにされ、科学がすべてという意識にかわりつつあります。科学ももちろん大切ですが、科学がすべてでもありません。

一昔前では、神棚、仏壇に手を合わせて一日の始まりと終わりに挨拶をしたものです。

しかし、最近私が感じてるのはそうした神棚一つにも手も合わせられない人が多くなっていることに日々感じています。何も信仰という観点でなくても、今のお陰を敬うという心があれば自然とできることだと思いますが、何でも誰かの成果で、誰々はすごいと誉めて認め合うのですが、しかしそのチカラや結果も、よく考えたら自分のチカラではなく、受け継がれた授かりものを活かしたまでで、それに感謝する心が大切です。


スクールの教室に神棚が祀ってあります。

これは私がどれだけ他者を敬う心があるのか?常にそうした見えない力に助けられて営みが出来ているかをスタッフに感じて務めてほしいので準備しました。

何でも自分「が」という過信していくと、傲慢化してくるので「お陰の心」を保つために日本人の知恵だと思っております。

行の中に真の心が表れると言われますが、残念ながら素通りになっているのが現状です。

ということはお陰さまの心が消えているということを神鏡を通じて照らされているということを感じます。

しかし、強制するつもりもなく、否定もしません。それがすべてではないからです。

今のこの国、そしてこうしてこの事業を営むことができるのもすべては先人のお陰なのです。

自分の頭で、自分が作り運営しているのではないと思います。

誰かがお参りしているから、自分はいい・・そうした若き人達に一つ伝えたいことがあります。


若くして国の為に命を捧げた人たちの想い、命のお陰を忘れていないか?

そうした方々の犠牲の中に、積まれた徳のお陰で、私達は今豊かな生活を得られています。

しかし、徳を使いきり今は不景気となっているのは、徳を積むことを忘れて私達はまだその徳を求めて自ら積んでいくことを忘れていることが一番の不景気だと思います。

こうした方々が命をかけて守った日本の文化、知恵、歴史、風習・・それを活かしてこそ、その命は生かされて、私達も生かしてもらえると思うのです。

そうした方達がいたこと、そうした方の恐ろしきも命を踏ませて頂いて立っている今。

そうした方によかったと思ってもらえる生き方。目的を取り戻さないと何のための犠牲だったのか?

本当に浮かばれないですし、だから私達も浮かばれないと思います。


犬の命との向き合い方を見ていると、やはりそうした敬う、命を活かすということ、相手の立場にたって考えてきた日本人の魂が消えつつあるように思います。

命がわからなくなって、動く物という表面的な可愛がる玩具や自分たちが甘える対象となってしまっているように思います。

相手を活かし、自分も生かされるという日本人の生活という想いをもって、今一度共生きを見直せば、犬だけの問題ではなく、私達の生きるということすべてが生かされ、また亡くなられて命を繋いでくださった方達も活かされるのです。

すべては繋がって共に生きるという文化(知恵の積み重ね)によって生きてきた私達の命。

今一度、現代の豊かさを頂いたお陰には、こうした命の犠牲や捧げた礎があることを思い出して頂けたらと思います。


命を大切にできる家庭犬トレーナーを育て、またそこから飼い主さんの心大切にできる大和が広まることを祈っています。