弱化する中で・・ | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

クーガーのブログ-道

皆さん、こんにちは。

昨日は、戸隠山の神社4社をお参りしてきました。

その中でも、この写真は奥社へと続く2キロの参道で、途中から険しく、辛い坂や階段を淡々と登らないと奥社の参拝はできません。

ここでも、怪我をされて歩けなくなっている方がみえましたが、歩くしか手段のないこの場所で、皆で支え合いながら下山されていました。


こうした険しい中、私も体の調子がよくないので手助けしてもらいながらお参りさせて頂きました。

自分で歩けるまでは辛くても歩く・・そう決めて行きましたが、こうした自然の中に置かれた時、なぜかドッグトレーニングと重なる部分を感じます。


別に苦しめれば登らなければいい。そこを目指さなければいい。

でも、目指せば辛い。

頂上の奥社はどんなところでしたか?

やはりその感じは行った人しかわからない。

どの時代になっても、こうした聖地に便利はありません。


私達は文明の進化と共に、自分たちの心は確実に弱化しています。

そして、自然や動物と向き合う時も周囲に助けられていることを忘れていて、過信して入山や入門する方が増えています。


自然は人間がかわいそうなんて甘やかしてはくれません。

その逆でしょう。それが冷たいか?思いやりがないのか?

私達の魂は、あえて苦しみを選んでいるように感じます。

日頃の生活にない、厳しさを求めているように観えるのです。


それが犬となると、日常の中の便利な道具のように、「楽」をして自分たちの欲の目的を満たそうとしてしまう。その手段が「しつけ」「トレーニング」となっていますが、犬を育てるとは、自然と向き合うとまったく変りなく、むしろ無変の中で自然の摂理に忠実です。

犬という動物は私達に苦しみを与え、試練を与えてくれるからこそ、私はあえて「不便」の中に、感動や喜びを共感しあえると思っています。


パワースポット・・私は楽をする、癒されるという人間の小さな計りで計れるような場所ではなく、逆に厳しい環境だからこそ、我々が忘れている本来のパワーを取り戻す、自我努力を思い出させてくれる場所が本当の意味でのパワースポットではないかと思います。


そうした険しい道を登りきった時、神様と向き合う時は自然と「お参りさせて頂けたこと、今日この場にこさせて頂けたことの感謝」しか出てこないのです。

「○○が叶いますように・・」そんな気持ちは自然と消えています。


聖地に足を踏み入れる時、我欲を満たそうとすることは聖地を汚すことにもなります。

動物たちも人間が気軽に踏み入れては本来はいけないと思うのです。

だからこそ、丁寧に彼らを尊重し、厳しい摂理を共感しながら生きることで、私達の見失っていた心を取り戻すことができるはずです。

それが本当の癒しではないでしょうか?


結果に振り回されず、天気を動かせないように、犬を動かそうではなく犬が動ける自分での努力を思い出す。それがトレーニングであって欲しいと願います。


私にとってのパワースポットは甘えを断ち切る、許してもらえないスポット。

自ら努力して叶えるしかないことを教えられ、日頃の支えられていることを思い出し、感謝する場所だと思います。


犬達を甘やかし、やりたい放題・・そうして犬を弱化させることは「生きる力を奪うこと」に繋がります。

今一度、共に険しい道を登り、生きるという歩みを自らの足で進めるように育ててあげ、自分も育ててもらう「共育」を戻し、皆さんと共に生きるパワーを取り戻せるパワースポットにスクールがなればと思っています。


簡単にパワーを頂くなんて、逆に自然に潰されると思います。

自らで生き抜く強さ・・それに敬意をもって、聖地を訪れたいと思いました。

皆さんも、是非そんな気持ちでパワースポットを大切に、自らが生きることで、支えられる人間になれるように「強化(パワーアップ)」しましょう。犬はそうした手助けをあなたにしようと試練を与えているのです。


私は「楽しい」ばかりよりも、「辛さを楽しめる生き方」を選びたいと思います。

楽しさは一時の幻・・苦しさは永遠の宝・・今しか得られない、この世でしか得られない大切な経験と感動を積みたいと思います。