こんにちは。
私の周りは皆さんが一所懸命学んでいる、そして習っている。挑んでいる。
私も試験官をしたり、教えたりばかりでどんどんと自分だけ傲慢化しているようで、犬とは関係ないまったく別分野の資格試験を昨日東京医科大学で受けてきました。
そこで、感じたこと。
やはりどの道も共通していることを感じた。
科学・・データー・・そのデーターだけで論議をしようとする。
正しいか、間違いか?の答えを出そうとする。
私は、犬のことでもまったく同じで、講習や指導していて、資格取得を目指す方こそ柔軟性がなく、平面的ですぐに専門家になってしまおうとすることに危惧を感じてる。
昨日の教授も、そうした意見に「個人の分だけ、個人の症例がある。データーで観るのではなく、もっと個人と向き合え!もう来なくていい」その言葉に改めて、自分も初心に戻った。
問題の行動の種類ばかりにとらわれて、そのイヌと人の間を見なくなることがあるからです。
大切にしないと。
近代は、本当に便利な世の中になりました。
それは素晴らしい努力だと思います。
しかし、その半面、人間や犬などの生命までも、便利にしようとしてる傾向があり、それは怠慢化していると感じる。
犬と暮らす・・私はいつも充実した暮らしを目的にする。
充実とは、いいことだが、でもこれを得る条件がある。
共に真剣に向き合うこと。
そうすると、自分にとっては苦しい、嫌なこと、悲しいこと、悩み、自分の理想とかけ離れるなど、自分にとってはメリットのないようなものばかりがのしかかる。
多くの人はこれを避けていく。
でも、実りを得るには、こうした苦しみや辛いことなどを乗り越えてこそ実るもの。
それが充分に実った時、充実という「感動」が得られて日々満喫できます。
これを避けて充実や満喫を得ようとすること・・それは逆に言えば、充実や満喫をなくそうと自らしていることになる。
お陰さまで・・この言葉が心から出る時は、やはりこうした「お陰(自分にとって辛きこと)」で、初めて満喫、満足を感じられる。
犬を大切に、犬だけでなくても、子どもでも何でも育みは、苦しみ、悲しみ、辛さ、悩み、面倒なことがあるからこそ、楽しさや嬉しさを感じられる、そして心動いて満足するものなのです。
お陰があって、感動や満喫があり、これがあるからお陰というまた苦しみ、辛さも感じられる。
お陰が嫌で、逃げる人、それはその子と向き合うことを放棄した、逃げたこと。
そこに充実も満喫も満足感もない。残るは失望感と不満だけ。
でも、その不満は自らが生んでいることに気がついていない。
不満・・ストレス・・だから楽をよこせとイヌに求めるだけ。
でも、それは益々首を絞めるだけ。
もっと命と真剣に向き合って欲しい。その証拠は苦労がつきもの。苦労=幸せこれは両立しないといけない。命は紙切れではない。だからこそ、対応力が必要になる。
常には固定ではなく、変化するもの。
そしてプロとは、こだわりながらも対応する、順応する、変化を見つける。
でも、道理だけは変わらない。
簡単なんて、楽なんて一番つまらない生き方なのに。
簡単は物でいい。
でも、命や心は簡単はつまらない。
共に苦労できることが幸せではなかろうか?
それが愛でもなかろうか?
楽は極楽で得るもの。この世は生きる修行の場。
今一度、皆さんも犬を通じて生きるということを逃げずに向き合って欲しい。
それが私の提供する授業の本質と目的です。
可愛いなら写真でいいから。
生きるという修行と共にできること・・苦労ができるって最高の感動だと思います。
それが嫌なら、ぬいぐるみを迎えてほしい。命を粗末にしない!それが苦労を粗末にしない、お陰さまの心だと思う今日この頃です。
