犬のトレーナーの仕事って楽しそうでいいですね・・
私はその言葉のように感じない。
本音を言えば、悲しみの連続。
犬を迎えるということ、そして犬を人間社会で共生できるように教育すること。
相手に優しくするということは自分に厳しくないとできない。
優しいとは何でもかんでも好き放題、かわいそうだからと相手のやりたいようにさせることではない。
その逆で、目の前の楽しみを奪ったり、苦い薬を飲ませたり、色々と不自由を相手に与えないといけないことの方が多い。
その時に、自分が目先の利や嫌われたくないと思って相手に合わせたり、好き放題させたら、その子をダメにしてしまうのは自分になる。
甘やかした方はどれだけ楽か・・。
でも、私達家庭犬トレーナーは「共育業」。
甘やかすことはタブーだし、それに負けてはならない仕事でもある。
楽しく・・そんなのとんでもない。
飼い主さんに嫌なことを言わないといけない、イヌにも厳しくしないといけないこともある。
直してくれと頼まれる以上、懸命に辛さをこらえながらやる。
先生は厳しい・・かわいそう・・もしくは、咬みついた犬を叱れば、先生はうちの子を信用していないなど、非難の連続。
その中で、イヌを大事に思うからこそ、心を鬼にしてその先叱られない、いちいち指示で縛られなくていいように育ててる。
その時、いつも心は泣いている。
泣きすぎて涙が枯れて出なくなっただけ。
そんな辛さもしらず、ただ厳しいとか、かわいそうとか言われることが一番つらい。
何で、俺がやらないといけないんだ・・イヌの心、命が大切だからこそ、心で涙を流しながら懸命にやってるだけ。
けっこう軟だから、傷つくんだよね。
相手を叱る、厳しくする・・それ以上に自分自身に同じことをしてるんです。
人間として、甘くして君たちがこうした問題呼ばれして、申し訳ない。
だから、そんな人間としての自分に厳しく、自分を叱咤しています。
それがトレーナーです。
技術、理論・・どんなに素敵で、優秀な知識を持っていても、命や心は技術じゃない。
やはり生きる自然な情熱、想い、真剣だと思う。
そして、育てるとはお不動様のように厳しい顔や姿で、厳しさに負けない心を育てないといけない。
負けてビクつくようにさせている方がかわいそうではないか。
そんな形相の心はいつも泣いてるんです・・。
それが本来の親心ではなかろうか?
自然の厳しさ・・彼等は不動で、自然の厳しい理法にそって生きてる。
楽しいなんて山登りしていること・・厳しさを無視することで、自然の理法で事故が起きる。
それが愛だと思う。
自分に向かって厳しくできなければ、命を育むことはできないだろう・・
