私が帰ると腕枕でねるリン。
もともとは触れなかったというか、触るな、来るな!と咬みつき吠えてた犬だ。
妻がとってもかわいがった。
でも、その妻を避ける。
でも、私は逆の態度だった。
勝手な行動は許さない、散歩は常に私が主導、時には厳しく叱った、そして基本的にちゃんとやったことは誉めた。
人間からみたら「そんなかわいそうなことしなくても・・かわいそうに」とよく言われた接し方。
でも、私はそのかわいそうはやさしさではなく「甘さ」だと思った。
「甘い」のは、自己妥協。イヌを思うのではなく、甘い方が正直自分は「楽」になる。
でも、それは「相手」の為にはならない。
人間以上に犬は「優しい」を理解できる。
私にとって犬は「可愛い」より「大事」にしたい存在だ。
人間の玩具じゃない、彼等も犬として生まれ、イヌとしての生きる目的がある。
そして、イヌはジェントルリーダー(優しいリーダー)を必要とする。
そのリーダーを自分が担ってあげることで、彼等は安心した暮らしが得られる。
たぶん、一般の方からみたら私がリンと接してきた日々は「いじめ」に観えたかもしれない。
私は「優しさ」を大切にした。
優しいは「甘い」とは違う。将来、この子に痛い想いをさせない、いつまでも指示に縛りたくない。
だから、あえて付き離し、ルールを徹底してきた。
そしてルールを守れたリンを誉めてきた。
好き放題させて、いつまでも吠えさせて、叱り、それでも曖昧に指示をして、いつまでも罰をやり続ける。
これはやさしさではなく、「堕落」だと思う。
優しいとは厳しさが必ずある。厳しいは自分に厳しくないと優しくはできない。
犬は見た目ではなく、心を理解できる。
犬から気付かないといけないこと、学ばないといけないことの方が多いと思う。
犬が頼れる主人になれることはやっぱり嬉しい。
それ以上に、そのイヌにとっても嬉しい。
でも、決して甘くはないが、優しさに包まれて安心して暮らせる。
そんな犬達をもっと増やしてあげないといけない。
理屈や理論ではなく、根本的な人間としての心を取り戻すことが必要だと思う。
心まで科学がすべてではない。命まで科学がすべてではない。
生きるという本質を理解することこそ、それが大切だと思う。
この日本において人とイヌが家族として暮らす知恵の先人として、知恵を後世にバトンタッチするのが、今生きてる私達の役目だと思う。
優しいと甘い・・この区別をしないとジェントルリーダーにはなれないのだ。
犬は誤魔化せない。だから、入口で狛犬も人間の誤魔化しの心を見抜き、その誤魔化の自分と見つめなおし、改心するために神社の神鏡にうつる自分を照らされたことに感謝し、明日に向かう。
もう一度犬からみた本当に必要な愛情を見つめ直せば、犬ではなく私達人間が犬を咬みつかせていることに気がつけると思う。
それをリンに教えられた・・。
その結果がこの姿だと思う。
