前回の続きです。
今回は土蔵までです。
下図⑪付近から⑩方向です。
⑫の稜堡にいくと
⑫付近から稜堡の先端方向です。
本塁の上には遊歩道があり、
多くの観光客が歩いています。
少し左にカメラを回すと
中央の大きな松の木は、盛土
の上にあり、そこには戦死者
を埋めたそうです。なのでこ
の松の木は150年ほどの樹齢
があります。
左側には大砲を本塁の上にあ
げる坂道があります。
低塁と本塁の2重構造です。
さらに少し、カメラを左に
回すと
本塁の上は遊歩道になって
いるので歩く人がいます。
上が東です。
⑫から東方向は
⑫から上側の東方向です。
本塁では桜が植えられて
満開でした。
本塁の遊歩道にある
満開の桜です。
⑪付近から土蔵方向は
この土蔵が築城当時からある
唯一の建物です。
⑬付近から見た兵糧庫の土蔵です。
土蔵を東側から見たところです。
⑬付近には大砲が展示されています。
⑬付近にある大砲2門です。
手前の大砲はクルップ砲で、
前装式施条砲(ライフル砲)
です。
砲筒内のライフルです。
発砲時にこの溝が砲弾に回転力を与え、
ジャイロ効果によって砲弾を安定して
長距離飛翔させることができる。 現在
使用されている砲の殆どがこれに該当
する。
全長285cm・重量1トン
です。射程距離約3Kmで
す。昭和7年に七重浜埋め
立て工事で発見されました。
新政府軍の軍艦長陽の大砲
らしいです。旧幕府脱走軍
軍艦蟠龍に撃沈されていま
す。
こちらの短い大砲は「ブラッケリー砲」
といい、1866年にイギリスのオードナ
ンス社で製造されています。
旧幕府脱走軍が、函館港内における砲撃
のために築島台場に設置していたもので、
全長2m55cm、重量は2,500kgで、推
定射程距離は1000メートル。
1961年に函館市豊川町で発見されたと
されています。
今回はここまでで、次回に続く
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