前回の続きです。
今回は二の橋から武田斐三郎レリーフ
までです。
下図二の橋を渡った所⑦付近です。
ここに門があります。
五稜郭タワーにある復元模型です。
冠木門とその奥にある門番所は、
今はありません。
現在の五稜郭図です。
⑧付近に行くと
上図⑧付近から深さ1.8mの
水堀方向です。石垣の高さは
約6mです。
この付近には冠木門がありました。
土塁・石垣の解説板です。
本塁石垣の断面図です。
石垣の割れ目から見た裏込め石
下図⑨から⑧方向です。
⑨から⑧の間には冠木門
がありました。
右端が番所跡です。
⑩付近に行きます。
曲がったところです。
カメラを右にまわすと
下図⑨から⑩方向です。
さらにカメラを右に180度
回すと
⑨付近から東方向です。
どちらかを土塁で塞ぎ
枡形にする方が防御力
が上がったでしょう。
左側の土塁は下図にあ
る身隠塁です。
武田斐三郎解説板に
武田のレリーフがあります。
下図⑨から⑩の間で、五稜郭タワー
方向です。
⑩付近に行くと
⑩付近にある五稜郭築城設計及
び監督の武田斐三郎のレリーフ
です。
みなさん顔を触るので、顔の
色が金色です。
安政4年(1857年)に着工
して、7年の歳月を費して、
元治元年(1864年)に竣工
しました。
函館戦争では旧幕府敗走軍
が、五稜郭を本城としまし
た。
新政府軍の軍船の砲弾が
五稜郭まで届き、落城す
る前に、降参しました。
今回はここまでで、次回に続く
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