5年前の更新を再UPしました。
前回の続きです。
今回は出丸から西の丸に戻り、
本丸内枡形までです。
下図⑬付近から⑭方向です。
赤い線に沿って歩きました。
上図⑮付近です。
下に見えるのが「お願い地蔵尊」
です。
⑮付近から見た「お願い地蔵尊」
「お願い地蔵尊」です。
おねがい地蔵尊の解説板です。
本丸のお寺で管理されている
ようです。地蔵尊ですが、新
しい観音様が32体も祀られて
います。
⑮から⑯方向は
⑮から⑯方向です。
下図②付近です。
先に北の丸に行きましたが、
今回は左側の本丸方向に進
みます。
②付近の解説板は
八幡山城の解説板です。
②付近にある解説板です。
豊臣秀吉の実姉智(とも)が、子供
の菩提を弔うために出家して、瑞龍院
日秀尼(にっしゅうに)と称しました。
慶長元年(1596)、日秀尼は後陽成
天皇から、京都嵯峨の村雲の寺地と
「瑞龍寺」の寺号・寺領千石・菊花
御紋・紫衣を賜り、この寺を尼寺と
して創建しました。
代々、有栖川宮、伏見宮、そのほか
皇族、華族などの女子息たちが九条
家より入寺し、住職に就かれました。
三代将軍徳川家光公から京都二条城
内の殿舎を寄進され、嵯峨から堀川
今出川に移転しました。天明の大火
で焼失し再建するも、昭和36年に
豊臣秀次の居城跡、八幡山城址に
京都より移築されました。
本尊は、一塔二尊四菩薩(釈迦牟尼
如来)です。
現在の16世は瑞心院日郁尼で、
光莚山長久寺(京都府南丹市)さんです。
②から⑪方向です。
⑪付近から山門方向です。
山門です。
山門内に入ったところです。
内枡形構造になっています。
正面に手水舎があります。
八幡山城本丸推定想像図です。
枡形出口から振り返り見た
ところです。
山門内の内枡形を見たところです。
曲輪(この場合は本丸)の内側に
枡形を設けたものを内枡形といい
ます。
今回はここまでで、次回に続く
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