草津温泉 1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回からは草津温泉です。

第1回目は歴史です。

開湯の時期について

ヤマトタケル、行基、源頼朝が開湯

したという開湯伝説があります。

 

光泉寺にある解説板です。

 

しかし、当時の古文書や石碑として

は残っていません。あくまで伝説で

す。

 

湯畑にある石碑です。

地名の起源は硫黄の臭い匂いから、

「臭→草」となったようです。

 

夜間照明されている湯畑です。

 

1193年9月に源頼朝が浅間山で巻狩

りを行った際に、木曾義仲の遺臣で

義仲遺児を匿って、草津に落ちてい

た細野氏を見出し、湯本の姓を与え

て草津の地頭とし、以後、湯本氏は

温泉経営で、北条・足利に仕えたと

云わっています。

 

1472年に文書としての最古記録は、

信州西厳寺住職の招きで、浄土真宗

本願寺第8世の蓮如が越前吉崎御坊

より草津に来て布教したというもの

です。これも後世記録されたもので

す。

 

浄土真宗を再興した蓮如上人

 

1491年に美濃国歌人の万里集九が、

入湯して、後に漢詩文集の東国旅行

記『梅花無尽蔵』全7巻を、1506年

に刊行します。その中で日本の最た

る名泉について、有馬温泉・草湯温

泉・下呂温泉を上げています。

 

戦国時代には湯本氏が、草津の湯治

客からとる湯銭を、真田氏に納めて

います。草津や白根で採れる硫黄を

戦国大名に贈ったりもします。

 

1582年に織田信長軍甲州征伐勢後

発隊のうち、信長直率の丹羽長秀・

堀秀政・多賀常則(多賀新左衛門)

が草津で入湯しています。

1588年に関白豊臣秀次が草津で

入湯しています。

 

1594年10月には大谷吉継が湯治

で滞在しています。

 

1595年に太閤秀吉が入湯の触書

を出す。

 

1596年に 太閤秀吉が病中の内府

徳川家康に草津の湯の特効を教え

湯治を奨める。

 

1598年に前田利家が草津で入湯。

 

江戸時代

 

1713年に湯樋事件が起きます。

この頃、外湯(共同湯)は5箇所

でした。地域で共有されるべき湯

水を湯本氏の3家が非常識にも自

営の湯屋に引湯して内湯を設けた

ことに、全村民が怒り、3家の専

横を公儀に訴えました。結果、

3家は内湯へ引湯するための湯樋

(湯を流す樋)の撤去こそ免れた

ものの、湯屋の客用には外湯のみ

を当てるよう、制限を受けること

になります。しかし、この事件を

きっかけとして湯屋に内湯を設け

る傾向が急速に強くなります。


湯畑の様子です。

湯の花採取と、湯温度低下のため

に湯畑が設置されています。

 

1717年に 江戸幕府第8代将軍の

徳川吉宗が、草津の湯を江戸城

まで運ばせて入浴します。

 

徳川吉宗の記念碑です。

 

1791年に江戸の俳人小林一茶が、

草津へ来湯します。

 

1816年には湯畑に「湯滝の灯籠」

が設置されます。

 

湯畑にある「湯滝の灯籠」です。

来た日の翌日は晴れでした。

 

1817年に京都で現存最古の温泉

番付である墨屋小兵衛「諸国温泉

功能鑑」が刊行され、草津温泉

の格付は東大関でした。この時代

横綱はありませんでした。

 

温泉番付です。西の大関は有馬温泉

ですね。熊野本宮の湯(湯の峰温泉)

は別格ですね。

 

1848年幕末に佐久間象山(松代

藩士)が入湯し、『トウ野日記』

を書きました。

 

明治維新後

 

1869年(明治2年)草津大火

がありました。火事で旅館業界

の世代交代が一気に進展して、

草津温泉ではそれまで全国で普

通に行われていた、湯治場での

ハンセン病患者と一般客の混在

を廃しました。

1877年(明治10年)この頃、

時間湯の入浴法が出来て、湯揉

みが始まります。

 

1878年(明治11年)にドイツ

から帝国大学医科大学に招かれ

たエルヴィン・フォン・ベルツ

が、草津を訪れる。

1887年(明治20年)湯之沢集落

の開村。草津温泉街からハンセン

病患者を排除する気運が高まりを

見せる中、ハンセン病患者は草津

温泉改良会が定めた草津温泉街の

東外れにある、谷地に自治集落

「湯之沢」を開村し、世間から隔

離させた「もう一つの草津温泉」

が生まれます。現在は画期的な

治療薬が出来て、廃村となりま

した。

 

1890年(明治23年)にベルツ

博士が、草津に約6000坪の土

地と温泉を購入し、理想的な

温泉保養地づくりを目指すが。

この計画は、地元住民の反対

もあって挫折します。

 

1918年(大正7年) 詩人の

平井晩村が草津で入湯して、

紀行文『湯けむり』を著す。

ここに草津節の元ともいわ

れる2つの歌「草津よいとこ

 白根の雪に 暑さ知らずの風

が吹く」と「草津よいとこ 

里への土産 袖に湯花の香が

残る」を書き残します。
1918年(大正7年)に草津

節(草津温泉の民謡で湯揉

み唄)が生まれます。

 

1950年頃の湯畑です。

 

よくしゃべるインコの動画をお借り

しました。(約2分半)

 

今回はここまでです。

 

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