中城城(日本100名城) 1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回から日本100名城の

中城城の紹介です。

 

三山時代は中山の城でした。

中城城は上図にある、標高約

160mの丘陵上にあります。

 

14世紀中頃(室町時代)に、
中城按司の一族が石積の

グスクを築きました。
14世紀後半(室町時代)に、

南の郭、西の各、一の郭、

二の郭が完成します。

 


現地にある案内板です。

2000年に世界遺産となります。

 

1391年頃に護佐丸が生まれます。

 

護佐丸の肖像画です。

 

1416年に尚巴志が北山征伐の軍

を興すと、按司(城主)の1人と

して連合軍に参加します。

護佐丸が25歳頃です。

 

三山を統一した尚巴志の肖像画です。

 

王府史書によると、20歳代にして

護佐丸は、第2軍800人の総大将に

抜擢されました。

 

上図に北山の今帰仁城があります。

 

海路を通った尚巴志の本軍と分か

れて陸路、今帰仁城に向かいます。

本軍と北山王攀安知が城外で交戦

し、城内の本部平原が寝返ると、

それに呼応して今帰仁城に突入し、

北山王国を滅ぼしました。

尚巴志は平定した北山の宣撫のた

め、今帰仁城主の血筋を引く護佐

丸を、北山守護職の要職に任じま

した。

1430年に勝連城を根拠地とする

茂知附按司が勢力を拡大すると、

尚巴志は中城の地領を護佐丸に

与えます。

 

1440年(室町時代)に、護佐丸は

尚巴志の命により、座喜味グスク

から中城城に移封されて、敵対し

ていた勝連城からの攻撃に備えて、

中城城の三の郭と北の郭を増築し

て、中城城を完成させました。

 

現地案内板より

 

護佐丸は旧居城の、山田城を崩して

石材を運び、石積みの工夫によって

強度と曲線美を備えた城壁を築いて

います。

 

中城城三の郭の城壁です。

石垣の曲線がきれいです。

 

1450年頃には完成した中城城

です。本土では石の城は古代の

朝廷の造った城以来、戦国末期

の1550年頃まで、石の城はあり

ませんでした。100年早いです。

 

築城の際、護佐丸は北山守護職

として影響力を拡大した奄美群

島や慶良間諸島から、労働者を

駆り出したと伝えられています。

尚巴志は護佐丸の娘を妃とし、

尚家と姻戚関係を強めます。

 

相関関係図

(うるま市役所Webページより)

 

尚家略系図です。

 

1454年に阿麻和利(あまわり)

が茂知附按司を滅ぼし、勝連城

主となり、対外交易で実力を蓄

えました。護佐丸の娘を正室と

していた尚泰久王は、長女百度

踏揚を阿麻和利に降嫁させて、

護佐丸・阿麻和利という有力な

按司と姻戚となり、姻戚関係を

後ろ盾に、王権の強化をはかり

ます。

 

阿麻和利(あまわり)の肖像画です。

 

1458年に護佐丸・阿麻和利

の乱が起こります。王府史書

によると、阿麻和利に対抗す

るため護佐丸が兵馬を整え、

これを阿麻和利が護佐丸に

謀反の動きがあると王府に

讒言します。それを信じた

尚泰久王が阿麻和利を総大

将に任じ、中城城を包囲す

ると、王府軍と知り護佐丸

は反撃せずに、妻子ととも

に自害します。

仇敵の護佐丸を除いた阿麻

和利は首里を急襲します、

妻の百度踏揚が勝連城を脱

出して王府に変を伝えて、

阿麻和利は王府軍によって

滅ぼされたと伝えられます。

 

1470年(室町時代)からは、
中城城と中城の領地は、王

の世子である中城王子の領

地となります。


1729年(江戸時代)中城城

一の郭に、中城間切番所が

置かれました。間切番所と

は現在の市町村にあたる、

行政区域を間切(まぎり)

いい、 番所は間切を管轄

する役所で、現在の市町

村における役所や役場に

あたります。


1853年(江戸時代)ペリー

艦隊の奥地探検隊が来て、

中城城跡の調査測量等を行

ないます。ヴィルヘルム・

ハイネが4枚のスケッチ画

を残しています。

 

画家ヴィルヘルム・ハイネ肖像画

ペリーに随行してきました。

 

ハイネの描いた中城城の絵です。

西の郭から正門方向です。

段差ズレ石段部分は現在

 

段差ズレのある石段

段差ズレの理由は不明です。

 

1882年(明治15年)番所

の一室を利用して、中城

小学校を開設します。

 

1897年(明治30年)には、
1729年以後、中城城跡の

一の郭の郭内に置かれて

いた「中城間切番所」は

「中城間切役場」に改称

されます。

 
1908年(明治41年)勅令

による町村制の実施によ

り、番所が中城村役場と

なります。

 


一の郭にあった中城村役場古写真

1945年(昭和20年)には、
沖縄戦により中城城内の

村役場施設は焼失します。

沖縄戦後に村役場は他に

移転しました。

 

現在の中城村役場です。

沖縄は年収が低いとか言われ

ますが、住居はほぼ鉄筋コン

クリート2階だし、気候も暖

かいし、物価も安いので本土

より豊かな暮らしに見えまし

た。墓石も下写真のように石

の家の感があり立派です。

 

沖縄の家形墓石です。

私も死後はこんな墓で

眠りたいです。

 

中城城の航空写真です。

 

2000年(平成12年)には、

「琉球王国のグスク及び

関連遺産群」として世界

遺産に登録されます。
2006年(平成18年)には、
日本城郭協会により中城

城は「日本100名城」に

選ばれました。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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