前回の登城の続きです。
今回は三の丸から二の丸です。
⑦付近から
⑦付近から看板(案内板)方向です。
案内板の向こう側が掘で、その向こう
側に、下図中の門がありました。
中の門付近の古写真は
三ノ丸から見た中の門古写真です。
中の門付近だけは石垣があります。
内枡形になっていました。
官軍と戦わすに済んだので、城の
建物が残ったのは、長岡城と大違
いですね。(明治初期の写真です)
二の丸内側から見た中の門です。
右端の木は下図の家老の速水邸
のものです。
看板の案内板から見た、二の丸南側
の復元予想図です。
⑦から⑨方向に歩くと
右端2階の建物付近が西櫓です。
さらに進むと
⑨付近です。草地は堀跡です。
⑩付近に行くと
上図⑧付近から⑩方向です。
⑩の所に行くと
⑩付近です。
堀部安兵衛誕生の地の石碑があります。
安兵衛の父:中山弥次右衛門は本丸の
辰巳櫓管理責任者でしたが、失火の責
任をとり浪人となります。そして、間
もなく亡くなります。苦労した安兵衛
は江戸に出ています。叔父甥の義を結
ん菅野六郎左衛門と村上兄弟との決闘
で助太刀をして、高田馬場の戦いぶり
で有名となります。おかげで赤穂浅野
家の家臣となりました。しかし、赤穂
浅野家は「松の廊下」事件で、お家取
り潰しとなり、主君の仇討ちのために
吉良邸に討ち入り、義挙を果たします
が、幕府から切腹命令が出て、切腹し
ています。
今回はここまでで、次回につづく
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