米沢城(続日本100名城) 3 本丸大手前から御堂(祠堂)跡 | みどりの木のブログ

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1枚写真を追加しました。

前回の続きです。

今回は本丸大手前から御堂跡までです。

 

下図④から⑦方向です。

天気が良くなって晴れて

きました。

 

上が北の案内板です。

⑤の附近に行くと

 

土塁の上が⑥の御三階櫓跡です。

 

明治維新前後に描かれた古絵図です。

天守代わりの御三階隅櫓が描かれて

います。

 

明治5年に撮影された御三階櫓です。

 

⑤より少し北側から撮影しました。

御三階隅櫓跡です。

 

御三階櫓跡の広場です。

 

④の北側から見た舞鶴橋です。

 

舞鶴橋にある石碑です。

江戸時代のこの橋は、下図

の大橋という木橋でした。

 

 

 

 

 

舞鶴橋の上から南側です。

右端の土塁上には上杉謙信祠堂

がありました。

 

舞鶴橋を渡り⑦に行くと

 

⑦から⑧方向です。

石段の上が上杉謙信祠堂跡です。

 

上杉謙信祠堂跡石碑です。

(明治24年に建てられました)

江戸時代に上杉謙信の遺骸を

安置した御堂(祠堂)が建っ

ていた場所です。謙信の遺骸

は甲冑を着せて甕に納め、漆

で密閉してありました。

謙信の跡継者になった景勝が、

春日山城→会津城→米沢城と

遺骸を移してきました。

遺骸の左右には善光寺如来と

泥足毘沙門像が置かれました。

泥足毘沙門像とは春日山城で

解説した、謙信が戦に出た時

に、謙信を助けに戦場まで来

たので、泥足になったという

毘沙門様です。泥足毘沙門像

も遺骸と一緒に移していたの

です。善光寺如来は武田信玄

と、信州で対峙していたとき

に、謙信が善光寺から貰った

本尊に近い仏像です。

(ブラタモリで紹介していました)

 

上杉謙信祠堂跡解説板です。

 

上図にある上杉謙信祠堂は

かなり大きな建物ですね。

周囲は多聞櫓や塀で囲まれ

下図のように御堂(祠堂)

は複雑な構造です。

 

江戸時代の米沢城絵図です。

上杉謙信祠堂の間取りが描か

れています。

 

上杉謙信祠堂跡石碑を裏から

見たところです。

画面左上に招魂碑が見えます。

 

招魂碑です。

戊辰・西南戦争で戦死した人

を慰霊するために、明治10

年に建てられました。

上杉謙信祠堂跡石碑より14

年早く建てられています。

 

招魂碑の解説板です。

 

下図⑨から⑧方向です。

上杉謙信御堂(祠堂)跡

広場です。

 

上が北の案内板です。

 

⑧付近から伝国の杜方向です。

もみじが紅葉していました。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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