前回の続きです。
今回は主郭城主館跡です。
下図⑯から⑰方向です。
土塁の上を歩いて、大土塁を
越えて城主館跡に行きます。
白いプラカードのある所が、
土塁の登り口です。
上が北です。
大土塁を上がった、上図⑪付近
から登ってきた土塁です。
昔は竹藪がなかったそうです。
館神堂跡です。
館の守り神が置かれていた所です。
昔は背後の竹藪がなかったそうです。
主郭全体の想像図です。
⑰の土塁上から土塁の北側です。
カメラを右に回すと
大土塁の高さはここで約6mです。
カメラをさらに少し右に回すと
大土塁上です。
下図は大土塁上部の発掘写真です。
土塁の上には板塀がありました。
大土塁上部の発掘写真です。
上が北です。
現在地にある城主館の想像図です。
大土塁上には板塀がありました。
上図にある城主館内の井戸跡です。
下図⑰から⑱へ行くため、
土塁を下ります。
上が北です。
上図⑱付近から大土塁方向です。
大土塁は盛土ではなく、なだらか
な丘地形の、左右の地面を掘削し
た感じのものです。
門跡の左右には盛土跡があります。
カメラを少し左に回すと
館門跡があります。
現在地にある案内板より
ガイドさん達が並んで城主館門付近に
います。門の左右には小さい盛土があ
り、下図のような塀があったようです。
カメラを左に回すと
館南側の土塁です。
上が北です。
⑱付近からの眺めは
上図⑱付近からの眺めです。
海沿いに城下町がありました。
明治10年と現在の城下町図です。
紀行家:菅江真澄の古絵図です。
江戸時代の1810年に大地震があり、
生鼻崎の先端が水没しますが、この
古絵図では、右端に水没部分が描か
れています。
八郎潟もまだ干拓されてないので、
湖として描かれています。
城下町も描かれています。
今回はここまでで、次回に続く
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