脇本城(続日本100名城) 7 主郭城主館跡 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は主郭城主館跡です。

 

下図⑯から⑰方向です。

土塁の上を歩いて、大土塁を

越えて城主館跡に行きます。

白いプラカードのある所が、

土塁の登り口です。

 

上が北です。

 

大土塁を上がった、上図⑪付近

から登ってきた土塁です。

昔は竹藪がなかったそうです。

 

館神堂跡です。

館の守り神が置かれていた所です。

昔は背後の竹藪がなかったそうです。

 

主郭全体の想像図です。

 

⑰の土塁上から土塁の北側です。

 

カメラを右に回すと

 

大土塁の高さはここで約6mです。

 

カメラをさらに少し右に回すと

 

大土塁上です。

下図は大土塁上部の発掘写真です。

土塁の上には板塀がありました。

 

大土塁上部の発掘写真です。

 

上が北です。

 

現在地にある城主館の想像図です。

大土塁上には板塀がありました。

 

上図にある城主館内の井戸跡です。

 

下図⑰から⑱へ行くため、

土塁を下ります。

 

上が北です。

 

上図⑱付近から大土塁方向です。

大土塁は盛土ではなく、なだらか

な丘地形の、左右の地面を掘削し

た感じのものです。

門跡の左右には盛土跡があります。

 

カメラを少し左に回すと

 

館門跡があります。

 

現在地にある案内板より

ガイドさん達が並んで城主館門付近に

います。門の左右には小さい盛土があ

り、下図のような塀があったようです。

 

 

 

カメラを左に回すと

館南側の土塁です。

 

上が北です。

 

⑱付近からの眺めは

 

上図⑱付近からの眺めです。

海沿いに城下町がありました。

 

明治10年と現在の城下町図です。

 

紀行家:菅江真澄の古絵図です。

江戸時代の1810年に大地震があり、

生鼻崎の先端が水没しますが、この

古絵図では、右端に水没部分が描か

れています。

八郎潟もまだ干拓されてないので、

湖として描かれています。

城下町も描かれています。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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