5年前の寺ヶ池公園で、アイリスの谷に
咲く花々の写真をUPしたので、再UPし
ています。
前回の続きです。
今回は東門から東善寺跡までです。
八戸市博物館前の桜です。
遅咲きなのかまだ咲いて
いました。
下図①の八戸市博物館横にある
南部師行銅像です。
左奥にボランティアガイド棟が
見えます。
上図②付近から見たボランティア
ガイド棟と各種解説板です。
郭配置図を拡大すると
8つの曲輪配置図です。
根城のグーグル地図です。
104号線の南側にある岡前館
などは、住宅地になっています。
下図③付近にある八戸城東門です。
八戸城は根城とは違う城で、南北朝
時代に根城南部氏2代目の南部政長
(師行の弟)の三男である南部信助
が、根城の支城として築いたのが始
まりとされます。以降は、中館氏と
名乗り代々、居城とします。
1627年、八戸氏が遠野へ移封され
ると中館氏も従いました。
以後は、南部氏直轄の支配となり
、南部藩初代藩主である南部利直
は八戸城を八戸地域の統治の中心
としました。
1664年に八戸藩が成立し、南部
直房により八戸城に藩庁が置かれ
ました。八戸城からここに移築さ
れています。
もらったパンフレットの
案内図です。
門の中に入り③と⑤の間で
土橋の右方向の空堀跡です。
堀を渡り上図⑤から見た空堀跡
です。400年前より堀は埋ま
っています。堀底にも降りられ
ます。
堀跡の解説板です。
V字形の薬研堀でした。
土橋を渡り空堀越しに見た
八戸城東門です。
空堀の内側に移築した方が
よかったかもですね。
④から見ると
上図④から見た空堀跡です。
土橋を渡った、上図⑤付近から
八戸城東門を見たところです。
この門の外側の東構地区にも
建物跡があり、下図沢跡の所
までが根城でした。
A付近から三番堀を見ると
上図A付近から見た三番堀跡です。
ほとんど埋まっています。
現在地にある案内板より
⑥付近に行くと
⑧の所にある枝垂れ桜と桃
の花です。
⑧付近です。
⑧付近です。
下図⑦付近から東善寺跡です。
東善寺は根城南部氏の
祈願寺・祈願所という
お寺で、少し小高い所
にあり、本丸の東北方
向鬼門を守る場所にあ
ります。
東善寺は真言宗のお寺
で根城南部氏が遠野へ
移るとき、東善寺も
遠野に移転しました。
中には僧侶などの墓
があるだけです。
今回はここまでで、次回に続く
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