昨日の続きです。
今回は最終回で千軒舎です。
下図にあるまちづくりセンターの
千軒舎です。
明治時代前期建築の薬屋・歯科
医院として使われていた内藤家
住宅を改修して、平成15年に(
2003年)まちづくりセンターの、
千軒舎として利用されています。
入場は無料です。
千軒舎の名前は、かつてこの地
が宇陀千軒と言われたことから
の命名です。
織田家が移封された後は天領
となり、幕府の支配下なので、
大名の見本となる祭りごとをし
ていたようで、重い年貢を取ら
れなかったのが幸いして町が
発展していました。
入口から入ると
下図入口を入って左側①です。
宇陀松山城関連の史料と、宇陀の
歴史紹介ビデオがあります。
格子窓から漏れる光に癒されます。
千軒舎間取り図です。
上図の入口を入って右側②付近です。
宇陀の歴史史料を展示しています。
内藤歯科医院の史料もあります。
下図①から座敷方向です。
上図座敷の床の間です。
カメラを右に回すと
さらに右に回すと
座敷から見た上蔵です。
上図③から④方向です。
上図③から①方向です。
通り土間から④方向です。
通り土間から③方向です。
1690年頃の松山地区絵図です。
織田家のお家騒動宇陀崩れの少
し前です。
松山地区図です。
これはここで上映されている宇陀
ビデオの一場面です。
これもビデオの一場面です。
城割後に残った石垣です。
これもビデオの一場面です。
発掘で本丸跡から出土した
遺物です。
その他にこれまでの紹介でお借り
した史料を使っています。
これで宇陀松山城紹介は終りです。
明日からは千早赤阪村水仙の丘の
水仙です。
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