宇陀松山城(続100名城) 21 最終回 千軒舎 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は最終回で千軒舎です。

 

下図にあるまちづくりセンターの

千軒舎です。

明治時代前期建築の薬屋・歯科

医院として使われていた内藤家

住宅を改修して、平成15年に(

2003年)まちづくりセンターの、

千軒舎として利用されています。

入場は無料です。

千軒舎の名前は、かつてこの地

が宇陀千軒と言われたことから

の命名です。

織田家が移封された後は天領

となり、幕府の支配下なので、

大名の見本となる祭りごとをし

ていたようで、重い年貢を取ら

れなかったのが幸いして町が

発展していました。

 

 

入口から入ると

 

下図入口を入って左側①です。

宇陀松山城関連の史料と、宇陀の

歴史紹介ビデオがあります。

格子窓から漏れる光に癒されます。

 

千軒舎間取り図です。

 

上図の入口を入って右側②付近です。

宇陀の歴史史料を展示しています。

内藤歯科医院の史料もあります。

 

下図①から座敷方向です。

 

 

 

上図座敷の床の間です。

 

カメラを右に回すと

 

 

さらに右に回すと

 

座敷から見た上蔵です。

 

 

 

上図③から④方向です。

 

上図③から①方向です。

 

通り土間から④方向です。

 

通り土間から③方向です。

 

1690年頃の松山地区絵図です。

織田家のお家騒動宇陀崩れの少

し前です。

 

松山地区図です。

 

 

 

これはここで上映されている宇陀

ビデオの一場面です。

 

これもビデオの一場面です。

城割後に残った石垣です。

 

これもビデオの一場面です。

発掘で本丸跡から出土した

遺物です。

 

その他にこれまでの紹介でお借り

した史料を使っています。

 

これで宇陀松山城紹介は終りです。

明日からは千早赤阪村水仙の丘の

水仙です。

 

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