宇陀松山城(続100名城) 18 松山町を歩く1 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回からは宇陀松山城とはあまり関係が

無いのですが、宇陀が重要伝統的建造

物群保存地区に、平成18年に国指定

されました。

秋山城からの重層的な歴史を重

視して指定されています。

なので、今回から松山町を歩きますが、

宇陀松山城の続きにしています。

 

現在位置にある地図です。

この地図の赤い線に沿って、

慶恩寺から千軒舎まで歩き

ます。

 

最初は慶恩寺からです。

 

慶恩寺前の道路から撮影

しました。

695年に吾城行宮の堂宇を拝領

して始まったと伝えられています。

慶恩寺は 1186年に重源上人が

東大寺再興に際して5分の1の、

試みの伽藍を建立し慶恩寺とし

たといわれています。

 

慶恩寺の本堂です。

浄土宗鎮西派の寺院で山号は松谷山です。

本尊は阿弥陀如来です。

 

山門横に秋山城主の石碑があります。

 

秋山城主之碑の左側には解説板

があります。

 

解説板です。

字が摩耗して読みにくいです。

甲斐源氏の秋山氏が南北朝時代

より、宇陀に土着して秋山城主と

なり、慶恩寺は秋山氏の菩提寺

となりました。

 

慶恩寺から赤い線に沿って

南の方に歩きます。

 

 

 

 

 

三階櫓のような商家があります。

たいへん珍しい造りです。織田家

陣屋阯への思い入れでしょうか?

解説板が無いので残念です。

下写真のように春日神社参道横

にある商家です。

 

 

 

春日神社参道です。

この奥には春日門跡があります。

 

春日門跡です。

ここはこれまでに紹介した、

豊臣時代から1615年城割

までの、松山城虎口であり、

織田家時代は陣屋の虎口

だった春日門跡です。

奥の石垣上には2階か3階

の櫓があり、織田家陣屋の

ランドマークでした。

1695年の宇陀崩れ以後

は春日神社の参道です。

 

4年前にUPした、桜と日本橋

ストリートフェスタの記事です。

新型コロナで日本橋ストリート

フェスタが中止続きで残念です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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