滝谷不動尊  前編 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

今回は2022年1月15日に

大阪の滝谷不動尊に初詣に

行きました。

毎年1月に新しい破魔矢を

授与頂いているので、今年

もお参りしました。私は長年

1月にお参りしていますが、

霊験がありそうな気がしま

す。

 

下図より右が本堂で、左が法楽殿です。

 

滝谷不動尊境内図です。

 

縁起解説板です。

 

滝谷不動(滝谷不動明王寺)


不動明王の原点は、インドのシバ神

と言われています。それを密教が取

り込んだそうです。
平安時代の嵯峨天皇の弘仁12年

(西暦821年)に弘法大師が開いた

道場で、本尊不動明王及び脇侍の

矜羯羅(こんがら)童子・制吒迦(せ

いたか)童子との御三体は、大師の

一刀三礼の霊像としてうやまわれ、

いずれも国の重要文化財に指定さ

れています。

 

空海肖像画です。

 

仏像の調査結果は、9世紀後半に

造られたことが判明しました。

(50年ほどズレがありました)

なので、残念ながら、弘法大師(

774~835年)の存命中ではない

のです。 しかし、空海が嶽山の

龍泉寺に参籠中に創建したお寺

らしいです。なので、創建時は今

の境内から南約1kmの嶽山の中

腹にありましたが、1360年には

足利義詮の嶽山・金胎寺城攻め

に焼かれ、この時、本尊と両童子

はお滝の下に移されて難をのが

れました。

 

赤丸が滝谷不動尊と龍泉寺です。

 

その後どこからともなく一人の

目の見えない老僧が現れて、
御本尊の霊験を説き、人々に

すすめて小堂を建てて日夜

礼拝していましたが、晴眼と

なって、いずくともなく立ち去

ったといいます。
これは弘法大師が御本尊の

霊験あらたかなことをお示し

になったと、眼病平癒霊像

として信仰されることとなり

ました。
その後1463年の畠山政長

と畠山義就の家督相続争い

で、義就が嶽山城に籠城し

たときに、嶽山合戦があり

再び兵火にかかり、今の場

所に移りました。

 

これは過去に撮影した写真で、

背後の山が嶽山城です。


このお不動さんは、諸説あり

ますが、日本三大不動の一

つと言われています。

東京の方にある成田不動尊

も940年開山で、滝谷不動

尊も821年なので、同じよう

な年代に開かれています。

 

 

堺市鳳の人で、失明していましたが、

参篭していると、ご利益により晴眼
となったので、1000回も月詣でを
しています。
10年で120回だから、1000回は
驚異的です。

本尊には眼病平癒の利益があると

され、授与品として眼病平癒のお守

り(晴眼守)があります。

全国からお参りに来るので、周辺

には数軒の宿屋があります。

 

今回はここまでで、あすは後編です。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。

希望があれば、読者(フォロアー)相互登録出来ます。

毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン

キングは出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。