昨日の続きです。
今回は多聞山城の北側です。
下図⑩から⑪方向です。
この階段で堀切の下に
降ります。右端は若草
大橋です。
上が南のグーグル地図です。
赤い線に沿って歩きました。
上図⑪から⑯方向です。
もともと窪んでいたここに、
さらに上図のように空堀
を掘ったと考えられます。
約450年前は今の車道
よりさらに2mほど深かっ
たと考えられます。
この反対側は
これは北方向です。
多聞山城想像図です。
下図⑫の所に行くと
上図⑫から⑪方向です。
カメラを右に回すと
上図⑫から⑬方向です。
宅地開発されて、下図のように
あった空堀が埋められて住宅
になっています。
江戸時代に浅野家が作った
多聞山城古絵図です。
東西50間とあるので、縮尺が
正しいとして、北側の空堀の幅
を計算すると約5mになります。
下図⑫と⑬の間で住宅が無い
所があり、撮影しました。空堀
は埋め立てられています。
上図⑬付近の住宅が無い所で
撮影しました。
この先のカーブした所が⑭
附近です。
右に曲がった所です。
下図⑮付近です。
このお宅の方にお願いして、
写真を撮らせてもらいました。
残念ながら多聞山城につい
ては、よく分からないとのこ
とです。堀切跡は木々で覆
われてよく分かりませんでし
た。
光明皇后陵の裏にも柵が
あります。
今回はここまでで、明日に続く
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