高田城(続日本100名城) 8 二ノ宮御殿跡から東三ノ丸園まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は二ノ宮御殿跡から東三ノ丸園

までです。

 

下図⑧付近から⑨方向です。

外堀が見えます。

 

⑧の左側には上越市立高田図書

館のビルがあります。この付近が

二ノ宮御殿跡です。

下の古絵図で見ると、⑧付近には

4代藩主の松平光長の姪だった、

王女の高田での三の丸二ノ宮御

殿がありました。

 

4代藩主の光長時代の高田城です。

高田が江戸時代で一番繁栄した時代

のものです。

現在地にある古絵図です。

 

この付近に二の宮御殿がありました。

 

二ノ宮御殿の解説板です。

二ノ宮とは光長の娘亀子が、

高松宮好仁親王との間に

生まれた娘です。皇族に

ふさわしい格式の御殿と

庭がありました。おそらく

京都の高松宮邸よりも立

派だったようです。

上越市立高田図書館付近

が御殿の中心でした。

光長も次の5代目が病死

するとは夢にも思わずに、

その場合のその次の藩主

を決めておけば、揉めて

改易にはならなかったと

思います。

光長の隠居料として26

万石の内約2万石は守

られたようです。

光長は57年も藩主とし

て、高田を治めたのに

残念な結果でした。

 

⑨付近から外堀をみると

 

外堀は蓮だらけでした。

レンコン栽培で、明治以降の

士族の授産に役立っていま

した。

旧関川だけあり幅が広いで

すね。

この反対側の堀は、陸軍が

使用したときに埋められまし

た。

 

堀の反対側です。

 

次に⑩付近に移動しました。

 

⑩は東仕切門の附近です。

 

⑩から東不明門方向です。

 

東不明門にある内枡形土塁

です。

 

⑪の東三ノ丸広場です。

 

東三ノ丸広場の解説板です。

もとは桜見本園でしたが、平

成9年の桜サミットで、参加し

た自治体が記念植樹をした

所です。

ここはたくさんの種類の桜が

植えられた公園です。

 

東三ノ丸広場⑪から極楽橋方向です。

⑩の東仕切り門跡は道路になってい

ます。

 

4代藩主の光長時代の高田城です。

 

 

最後に4年前にUPした月山富田城

の紹介1です。木が伐採されている

ので、戦国時代の山城風景が楽し

めます。

 

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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