昨日の続きで仙台城の最終回です。
今回は青葉城資料展示館です。
入館料が大人700円と少し高いで
すが、仙台城のハイビジョンCG映像
(撮影禁止)が見れたり、仙台城の
資料としては充実しています。
是非見ておきたい展示館です。
青葉城資料展示館です。
お土産関連の売店もあります。
上図青葉城資料展示館の
右側には青葉城本丸会館
があります。
青葉城資料展示館の向こうに
本丸会館が見えます。
本丸会館です。
館内で食事もできます。
伊達政宗の顔出しがありました。
右側は五郎八姫でしょう。
青葉城資料展示館では特別展
として遣欧使節展がありました。
展示品の一部だけ紹介します。
今までにUPした仙台城の模型
があります。
右側が仙台藩の具足です。
胴部分が5枚の黒漆塗鉄板で
構成されいるのが特徴です。
動き易くするためでしょう。
政宗がそうしたので、以降の
藩主や家臣に継承されました。
家臣の湯村氏が使用した小拵です。
小拵とは脇差しの外装です。
その他にも刀剣があります。
奥羽列藩同盟のの盟主に
なった仙台藩最後の藩主
伊達慶邦の大名行列図で
す。戊辰戦争で負けて、
官位・領地・仙台城まで
没収されました。隠居し
てから楽山と名乗りました。
官軍に佐賀藩が製造した
アームストロング砲があ
るなんて知らなかったの
でしょう。
仙台藩13代伊達慶邦の大名行列図です。
二ノ丸平面図です。
2代藩主からはここで政務を
執りました。
遣欧使節関連では
遣欧使節団は総勢180余名で、
日本人140名ほどで、その内訳
は仙台藩関係130名と幕府舟
手奉行配下が10名ほどいました。
これは政宗が幕府に届け出て、
許可された証です。
南蛮人は40名です。
政宗は仙台をメキシコとの貿易
拠点にしようと目論んでいました。
支倉常長(600石の仙台藩士)
が使節大使です。1613年に出
帆して、太平洋を渡りローマに行
きました。1620年に帰国します。
しかし、帰国時にはキリスト教が
禁止になっていました。
支倉常長は帰国後1年余りで、
亡くなりました。
建造・出帆したのは月浦でした。
1613年の出航の、2年前の
1611年には慶長三陸地震が
起こりました。M8.5で津波が
20mもありました。
その他にも三陸地震は明治
29年(1896年)のものでは
死者2万人以上ありました。
昭和8年(1933年)のもの
では死者3000人以上あり、
この前の平成23年(2011
年)の東北地方太平洋沖
地震では死者・行方不明
者約1万9000人だそうです。
三陸地震は津波が高いのが
特徴で、原発の安全性を高
めておくべきでしたね。
東京電力が何故対策をしな
かったのか不思議です。
十字架に見える十文字槍です。
ローマでは遣欧使節団が入市
式の行進をしています。ここで
十文字槍が描かれているので、
ローマ市民は十字架と思い、
歓迎したそうです。
その他に古文書がたくさん展示
されていました。
今回で仙台城の紹介は終りです。
明日からは新潟県にある春日山
城の紹介です。
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