仙台城(日本100名城) 8 本丸東側崖付近最終回 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は本丸東側崖付近最終回です。

 

懸造跡です。

 

本丸東側崖に懸造の御殿が

ありました。

 

大広間から廊下を通り、この

懸造りの御殿に移動出来ました。

数寄屋風書院造の建物で、京都

の清水寺本堂の舞台に似ています。

眺望を活かして賓客の接待にも使

われました。政宗が生まれた米沢

城にも懸造の建物があったそうで

す。

 

懸造の解説板です。

 

 

懸造跡から見た仙台の風景です。

 

この付近には土井晩翠の歌碑

と銅像もあります。

 

土井晩翠の歌碑と銅像です。

 

土井晩翠の解説板です。

土井晩翠は1871年に仙台市

北鍛冶町の質屋の長男として

生まれました。

 

当時の旧制第2高等学校

(東北大学の前身)校舎の

古写真です。

 

晩翠は旧制2高から東大

を出て、明治33年に母校

2高の教授になりました。

その前の明治31年には

「荒城の月」の詩作発表

しています。

晩翠はほとんど仙台に居

た人なので、「荒城の月」

の荒城とはこの仙台城の

ことです。

 

この付近には昭忠碑もあります。

 

 昭忠碑です。

1874年佐賀の乱以来、西南戦争、

日清戦争などに従軍した陸軍第2

師団所属の戦没者の慰霊顕彰碑

として、昭忠会により仙台城本丸

跡の地に建立されました。

鳥像は『日本書紀』で神武天皇の

軍を勝利に導いたとされる金色の

鵄(トビ)を表しています。

1902年11月竣工当時は鵄(トビ)

が塔の上にありました。地震で落ち

たので、現在は修復されて下にあ

ります。

 

 

左端にあった巽櫓跡は

 

この先にある崖あたりです。

この付近は駐車場になって

います。

巽櫓は本丸跡の南東部に

位置し、「奥州仙台城絵図」

には、入母屋造りの瓦葺の

屋根を有する三重櫓で、

北側に付櫓と見られる、

平屋建物が描かれていま

す。正保3年(1646年)の

地震で被災した後は、再建

されなかったとみられてい

ます。平成14年に実施し

た発掘調査では、櫓の土

台となる石垣や礎石跡な

どが確認されました。

 

1664年の古絵図です。

1646年に地震で被災してからは、

再建されなかったので、この1664

年のこの絵図では跡しかありませ

ん。同様に詰門の脇櫓も描かれて

ないので、地震で被災してからは

再建されなかったのでしょう。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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