偕楽園 10 表門から御成門を通り東門です。 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。

今回は表門から御成門を通り東門です。

 

下図にある好文亭表門です。

 

赤い線に沿って歩きました。

 

江戸時代は弘道館の堀の

外側にさらに2重に堀があ

り、大手道から偕楽園に来

るには、➊の表門が近い

位置にありました。

 

大手門から御成門方向です。

 

ここには孟宗竹林の矢竹

解説板があります。

 

少し進むと井戸があります。

 

背景は孟宗竹林です。

 

 

 

梅林の中を歩きます。

梅が咲いていれば良かった

のですが、8月なので残念

です。

偕楽園では約100品種、

3000本の梅の木があり。

弘道館は約60品種の、

800本の梅の木があり

ます。

 

所々に休憩するベンチがあります。

 

所々に梅の解説板があります。

この梅は「虎の尾」です。

 

白色八重咲の「虎の尾」です。

Web上からお借りしました。

 

下図にある白難波です。

 

 

 

「白難波」です。

これも白い八重咲の梅です。

 

その他に

 

好文亭で紹介した烈公梅です。

丸いピンクの花びらです。

 

御成門です。

造園当時には設置されなくて、

明治23年(1890年)に昭憲

皇太后(明治天皇正室)行啓

に際して造られました。

令和元年より偕楽園は有料

化されました。そのために、

御成門は閉鎖となりました。

料金所を増やすと人件費が

かかります。

 

昭憲皇太后(明治天皇正室)の

古写真です。伏見城紹介でUP

した写真です。伏見城跡に御陵

があります。子供が出来なくて、

側室が大正天皇を出産します。

 

あとは赤い線に沿って

見晴亭まで歩きました。

 

見晴亭方向への遊歩道です。

 

見晴亭前に戻りました。

朝から歩き続けたので、

暑さもあり、疲れていた

ために、この亭内の畳

部屋で休憩しました。

亭内には偕楽園を訪れ

た有名人の紹介があり

ました。

 

最初に吉田松陰は1851~1852年の

約1か月間水戸に滞在しました。

1851年の12月26日に偕楽園

に訪れています。

斉昭の歌

「世を捨てて やまに入る人 山にても

なお憂き時は ここにきてまし」

に感動しています。

 

正岡子規は1889年4月に

偕楽園を訪れました。

子規が晩年に偕楽園を思い

だして読んだ句が

「崖急に 梅ことごとく 斜なり」

でした。偕楽園の全体を見てい

ないのでこの句が出来たので

しょう。

 

亭内にあった東日本大震災で、

復興支援の会よりの言葉です。

 

これで偕楽園の紹介は終わりです。

明日は外に出て仙波湖とJR常磐線

です。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。

希望があれば、読者相互登録出来ます。

毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン

キングは出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。