会津若松城(日本100名城) 11 最終回 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回が会津若松城の最終回です。

 

西出丸への土橋上から撮影

下図⑭から⑮方向です。

西出丸は現在駐車場になっ

ています。

 

 

振り返り反対方向は

 

 

 

会津若松城(グーグルより)

 

上図⑮の所です。

西出丸内に敵が侵入しても

土橋内に入れないようにした

仕切り石垣です。

 

⑯の所に行くと

 

⑯から見た西大手門枡形跡です。

駐車場への出入口です。

 

次に二の丸⑱のところは

 

下図⑱から⑰方向です。

先の方には三の丸への

土橋があります。

 

 

 

⑱付近にある二の丸井戸です。

二の丸はほとんどがテニスコート

になっています。

 

上図⑲付近の伏兵郭入口です。

左側にも土塁がありましたが、

撤去されて車両通行道になっ

ています。

 

三ノ丸⑰の方に行くと

 

 

上図⑰付近から二の丸跡に続く

土橋方向⑱です。

 

進むと

 

三ノ丸から二の丸に続く土橋です。

上図⑰から⑱方向を見たところです。

 

下図Aから見た三の丸表門跡です。

堀はほとんどが埋め立てられました。

 

 

 

上図⑳付近です。

ほとんど破壊されています。

画面左外は福島県立博物館

です。

 

 

以下の写真は未使用でした。

 

 

 

 

最後に「ならぬものはならぬのです」という教え

によって、身分が低いなら優秀でも出世出来な

いという身分の硬直性が見えます。

山本覚馬(八重の兄)は優秀であったのですが、

身分は低いままでした。京都では新選組が会津

藩士にはなれず、会津藩預かりの浪士隊でした。

NHK大河「青天を衝け」では、清水家の武士と

して、渋沢栄一が家臣になったことを考がえると、

会津藩の保守性が見えてきます。

 

 

これで会津若松城の紹介は終わりです。

明日からは水戸城(日本100名城)の

紹介です。

 

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