昨日の続きです。
今回が会津若松城の最終回です。
西出丸への土橋上から撮影
下図⑭から⑮方向です。
西出丸は現在駐車場になっ
ています。
振り返り反対方向は
会津若松城(グーグルより)
上図⑮の所です。
西出丸内に敵が侵入しても
土橋内に入れないようにした
仕切り石垣です。
⑯の所に行くと
⑯から見た西大手門枡形跡です。
駐車場への出入口です。
次に二の丸⑱のところは
下図⑱から⑰方向です。
先の方には三の丸への
土橋があります。
⑱付近にある二の丸井戸です。
二の丸はほとんどがテニスコート
になっています。
上図⑲付近の伏兵郭入口です。
左側にも土塁がありましたが、
撤去されて車両通行道になっ
ています。
三ノ丸⑰の方に行くと
上図⑰付近から二の丸跡に続く
土橋方向⑱です。
進むと
三ノ丸から二の丸に続く土橋です。
上図⑰から⑱方向を見たところです。
下図Aから見た三の丸表門跡です。
堀はほとんどが埋め立てられました。
上図⑳付近です。
ほとんど破壊されています。
画面左外は福島県立博物館
です。
以下の写真は未使用でした。
最後に「ならぬものはならぬのです」という教え
によって、身分が低いなら優秀でも出世出来な
いという身分の硬直性が見えます。
山本覚馬(八重の兄)は優秀であったのですが、
身分は低いままでした。京都では新選組が会津
藩士にはなれず、会津藩預かりの浪士隊でした。
NHK大河「青天を衝け」では、清水家の武士と
して、渋沢栄一が家臣になったことを考がえると、
会津藩の保守性が見えてきます。
これで会津若松城の紹介は終わりです。
明日からは水戸城(日本100名城)の
紹介です。
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