昨日の続きです。
今回は本丸下帯曲輪から二の丸へです。
天守出口です。
ここから外に出て
出た所から振り返り撮影しました。
天守は鉄筋コンクリートですが、
天守台の石垣は野面積で古い
型のものです。400年前の築城
時代からのものでしょう。
島原城古絵図です。
解像度が悪いのでわかり難いです。
この縄張り絵図で赤い線に沿って
歩きました。
複雑な仕切りがありますが、本丸
は小山でしたので、天守のある平
坦地と、その周りには一段低くな
った帯曲輪があります。
上図①から②方向です。
下り坂道です。縄張図にないので
後世造られた道です。
下に下り振り返り
②から①方向です。
天守最上階から見るとこんな感じです。
②の付近は
②から見た二の丸方向です。
近づいて少し右方向を見ると
本丸と二の丸の間にある空堀です。
今は御廊下橋がありませんが、堀の
底におりて二の丸に行く道がありま
す。堀底も廃城後は本丸同様に畑
になっていたようです。
②付近にある籠城用の梅干しかめです。
旧藩時代この城の本丸に置いて
あったもので、明治8年にこの城
が解体されるときに、市内の中町
に住んでいた、喜多さんが譲り受
けて保管していたものです。
梅干しがあれば塩分補給も出来
ますね。
天守内の展示に追加するべきも
のですね。なぜ②付近に置いて
あるのか分かりませんでした。
この横には
キリシタン墓碑が置いてあります。
2つの墓碑はえぐられて手洗い盤
として使われていました。
そのほかにも
三の丸にあった松平時代の
石の水道管です。漆喰で繋
いでいました。
解説板です。
上水道として敷設したのは、
18世紀末以降なので、江戸
時代の後期ですね。
キリシタン墓碑と水道管の解説板です。
ここ島原では火山もあり石が豊富にあ
ったのでしょう。
すべて天守内で展示するべ
きものですね。
4年前のブログです。西行法師
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