島原城(日本100名城) 6 本丸下帯曲輪から二の丸へ | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は本丸下帯曲輪から二の丸へです。

 

天守出口です。

ここから外に出て

 

出た所から振り返り撮影しました。

天守は鉄筋コンクリートですが、

天守台の石垣は野面積で古い

型のものです。400年前の築城

時代からのものでしょう。

 

島原城古絵図です。

解像度が悪いのでわかり難いです。

 

この縄張り絵図で赤い線に沿って

歩きました。

複雑な仕切りがありますが、本丸

は小山でしたので、天守のある平

坦地と、その周りには一段低くな

った帯曲輪があります。

 

上図①から②方向です。

下り坂道です。縄張図にないので

後世造られた道です。

 

下に下り振り返り

②から①方向です。

 

 

 

天守最上階から見るとこんな感じです。

 

②の付近は

 

②から見た二の丸方向です。

近づいて少し右方向を見ると

 

本丸と二の丸の間にある空堀です。

今は御廊下橋がありませんが、堀の

底におりて二の丸に行く道がありま

す。堀底も廃城後は本丸同様に畑

になっていたようです。

 

②付近にある籠城用の梅干しかめです。

旧藩時代この城の本丸に置いて

あったもので、明治8年にこの城

が解体されるときに、市内の中町

に住んでいた、喜多さんが譲り受

けて保管していたものです。

梅干しがあれば塩分補給も出来

ますね。

天守内の展示に追加するべきも

のですね。なぜ②付近に置いて

あるのか分かりませんでした。

 

この横には

 

キリシタン墓碑が置いてあります。

2つの墓碑はえぐられて手洗い盤

として使われていました。

 

そのほかにも

 

三の丸にあった松平時代の

石の水道管です。漆喰で繋

いでいました。

 

解説板です。

上水道として敷設したのは、

18世紀末以降なので、江戸

時代の後期ですね。

 

キリシタン墓碑と水道管の解説板です。

ここ島原では火山もあり石が豊富にあ

ったのでしょう。

 

すべて天守内で展示するべ

きものですね。

 

4年前のブログです。西行法師

終焉の地である弘川寺の桜です。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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