備中高松城(続日本100名城) 5 本丸 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は本丸です。

 

本丸横の復元沼です。

露出補正-3で撮影しました。

 

本丸跡推定地を赤線で

囲みました。

 

二の丸跡の橋を渡った上図①

の本丸跡です。

復元沼との高低差が分かります。

 

水攻め後も高松城は改修を受けて

維持されました。

高松城は宇喜多領となり、

家臣の花房正成が城主
として入城します。そして、
1600年の関ヶ原の戦い
では、宇喜多氏の旧臣で
他藩預かりであった花房

職秀が、徳川家康に味方

して活躍したので、8220

石の所領を得て、旗本に

なり、花房職秀が高松城

を陣屋として使用しました。
職秀の死後は、一国一城
令で廃城となったようです。

 

本丸から見た復元沼です。

上図②付近に行くと

この付近に下の解説板があります。

 

水攻め想像図です。

信長がまだ生きていたので、

この兜ではなかったかと思

います。

 

ここにある包囲図です。

 

本丸にある解説板です。

 

城主清水宗治の首塚です。

 

城主清水宗治の首塚です。

 

清水宗治の記念石碑です。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士の名を

高松の 苔に残して          」

これは宗治辞世の歌です。

 

天聴記念碑です。
天聴 (テンチョウ)とは天子がお聞き

になることです。

昭和5年に陸軍の大演習があり、

その時に高松農学校教諭の高田

馬治氏が昭和天皇に説明された

ことの記念碑です。

 

横にある高田馬治氏の銅像です。

 

 

 

上図③から上図本丸跡と書

いた方向です。本丸最高所

になっています。

ここの駐車場で車中泊した

ので、次の日の朝写真です。

 

本丸跡最高所です。

 

最高所から見ると
 

最高所から見た本丸跡です。

 

左側は最高所にある「清水宗治城跡」の

石碑です。

戦前の毛利家当主貴族院議員の書です。

 

下図③から見た本丸の北側です。

 

 

 

上図④の橋から見た復元沼です。

当時はもっと広く遠くまで沼が広が

っていたでしょう。

左端が本丸です。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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