岩槻城 2 大構(おおがまえ)から新曲輪まで | みどりの木のブログ

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今回は大構から新曲輪までです。

 

現在位置の鍛冶曲輪にある

江戸時代後期の大槻城です。

城下町を囲む大構(おおがまえ)

がありました。これは惣構にあ

たるもので、1590年の小田原

征伐の秀吉軍に備えて北条氏

が造った施設です。堀を掘って

出た土砂を土塁にしました。

上図にある愛宕神社付近でそ

の土塁が残ります。

 

愛宕神社に残る大構土塁跡断面

です。左端側が堀跡ですが、すで

に堀は埋め立てられました。

(グーグルストリートビューより)

 

1590年に豊臣秀吉による

小田原征伐が開始されると、

北条氏房は小田原城に籠城

します。岩槻城は豊臣方から

攻撃を受けます。氏房の家臣

伊達房実が指揮を取り岩槻

城に籠城します。2000人の

兵で浅野長吉など2万の兵

と戦います。

5月20日に開戦し、岩槻城

は3日間で落城しました。

城主は小田原城に居て、兵

数も少なく指揮が上がらなか

ったのでしょう。

 

大槻街歩き観光案内地図です。

現在と江戸時代後期のの比較

ができます。大構は茶色の線

の所です。

新曲輪の赤丸Pの駐車場に

駐車しました。

 

新曲輪部分を拡大すると

 

現在地にある案内板です。

さらに拡大すると

 

②付近に駐車しました

赤い線に沿って歩きました。

無料駐車場なので助かります。

 

上図⑥付近の道沿いにある

岩槻城址公園入口です。

この辺りは堀の沼だったところです。

入ったところには

 

幸せ家族十か条掲示板が

あります。

見習いたいものです。

 

①付近の市民会館いわつきです。

 

上図②付近です。

この道路を造るときに崖を削り

道にしています。なので、階段

より手前は堀の沼だったところ

です。

 

比較するとわかります。

駐車場が描かれていません。

 

岩槻城解説板です。

 

下図②から見た駐車場です。

 

⑤の方に行くと

 

上図⑤から⑥方向です。

下り坂になっています。

この下が堀の沼だった

ところです。

下に下りて振り返ると

 

坂の下から振り向いて、

歩いて来た道です。

この上が新曲輪でした。

 

下図⑦付近から崖沿いに

撮影しました。

 

 

 

上図にある滝です。

 

滝付近の沼跡です。

 

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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