菅谷館(続日本100名城) 6 本郭から南郭 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。

今回は本郭から南郭です。

最初は本郭手前からです。

 

手前は下図クの土橋で、左右

に本郭の土塁があります。

堀底から土塁の上までの比高

差は約8mです。

当時は土橋ではなく木橋であ

ったようです。

 

現地案内板です。

①本郭内に入りケからコ

の方向は

 

ケからコ方向です。

コには生門(しょうもん)跡が

あります。

カメラを右に回すと

 

下が北の縄張図です。

 

下図ケからサ方向です。

 

コの所に行くと

 

コから見た生門(しょうもん)

跡です。

生門の外側は

 

生門(しょうもん)跡の外側

です。谷になっています。

 

生門跡がから見た本郭内部です。

本郭の周囲は空堀を造るときに

出た土で土塁になっています。

ここには畠山重忠の館があった

と伝えられています。確証はあ

りません。東西150mで南北は

60mあります。

重忠旧領と畠山の名跡は足利

義兼の子供足利義純が重忠の

未亡人(時政娘)と婚姻し継承

しました。義純は足利の家臣を

連れてきて、ここに住んでいた

という記述が残っています。

時代は下り戦国時代になると、

山内上杉顕定の命を受けた、
太田資康(太田道灌の嫡男)
が扇谷上杉方の拠点である
河越城に対するおさえとして、
菅谷の旧館を再興して菅谷

城とし、山内上杉氏の居城

となりました。その屋敷もこ

の本郭にあったのでしょう。

 

 

サのところに行くと

 

上図サからシ方向です。

空堀があり、さらにその

向こう側に土塁がありま

す。

進むと

 

 

堀を渡り振り返り見ると

 

振り返り見たところです。

主郭の左側には土塁があり

ません。

 

シのところです。

堀の向こう側の土塁を下り

南郭に入ります。

 

 

 

下が北です。

 

南郭の南側の断崖です。

都幾川の河岸段丘です。

 

手前の南郭と南郭土塁です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。

希望があれば、読者相互登録します。

毎日午後8時半頃に更新しています。
「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングは出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。