昨日の続きです。
今回は土橋からの搦手道です。
下図土橋の所です。
この土橋を渡り進むと
土橋を渡った所です。
この右側下は曲輪になっています。
画面左下がその道の下の曲輪です。
さらに歩くと
振り返り撮影した、下図⑬から⑫
方向です。竪土塁が見えます。
尾根が伸びているだけという感
じもしますが、竪土塁だそうです。
⑬から上の曲輪に行く道です。
ここは登らずに先に行きました。
搦手道です。
この付近の左右には家臣の
屋敷などがあったようです。
搦手道左側の少し高い下図⑯の
曲輪です。
先には行けませんでした。
搦手道にもどり、進みます。
右手下に曲輪が見えています。
進むと
下図⑭付近です。土塁のある
曲輪など段曲輪が見えます。
家臣の屋敷だったようです。
現在は私有地でたけのこ山と
して使われているようです。
下図⑮付近の所にも切通しがあります。
ここにも下図のように門がありました。
この道の左側は
上図⑰の曲輪になっています。
切通しを通過したところです。
下り坂が伸びています。
下に降りて横から見ると
高槻から亀山方面への街道から
分岐して、搦手道の坂が見えます。
来たご夫婦が坂道を上が
っています。
拡大すると
拡大したところです。
石垣もあります。
この左側にカメラを回すと
石垣がある段曲輪になっています。
三好長慶時代と思われる、かなり
古い野ずら積みの石垣です。
ネットで調べると江戸時代という話
もありましたが、証拠が示されてい
ませんでした。
以上が搦手道でしたが、下図の様
に街道に接続しているこの道の方
が大手道のような気がします。
家臣の屋敷が両側にある構造は
安土城の大手道に似ています。
今回はここまでで、明日が最終回です。
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