昨日の続きです。
今回は亀山間道で最終回です。
搦手から出て、下図の亀山方面に
抜ける間道から撮影しました。
搦手道の両側には多くの曲輪が
あり、家臣の屋敷がありました。
この間道を高槻方面に歩きます。
芥川山城全体想像図です。
現地にある案内板です。
上の写真の反対側は
石垣の下にある道が間道です。
下図⑥の所です。
現地にある案内板です。
今回は上図塚脇ルートを
⑥から③まで歩きます。
間道の横にはため池のような所が
ありました。これが上図の古井戸
でしょうか?今まで井戸が無かっ
たのが不思議でしたが、城内に
造らないと意味が無いので、この
場所は水田かため池跡ですね。
間道を高槻方面へ歩きました。
今まで紹介した城でため池の
ような井戸がありました。
高槻方面への間道です。
少し歩き下の案内板のところで、
今来たところを振り返り撮影しま
した。
坂がゆるやかなので、大手筋より
こちらの搦手道がよく利用されて
います。歩いて来た道を撮影しま
した。
高槻方向に歩きます。
この先が下図③の大手筋ルート
との合流点です。
右下の道が大手筋ルートへの
道です。
上図③の分岐点にある案内板です。
来た道にある新しい石垣です。
逆さですがハート形の石がありました。
最後に感じたのは搦手道が大手道で、
大手筋は搦手なのではと思いました。
搦手道は信長の安土城大手道と似た
構造でしたし、間道に接続しているの
がその理由です。
これで芥川山城の紹介は終わりです。
明日からは高山右近で有名な高槻城
の紹介です。
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