黒井城 8 黒井城本城からの眺望など | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は黒井城本城からの眺望などです。

 

黒井城から南西方向です。

黒井城跡から春日荘跡がよく

見えます。朝日城は赤井直正

が子供の頃に、後屋城から

養子(人質?)として迎えられ

た、赤井氏と同族の荻野氏の

城です。
 

 

 

 

 

黒井城から南西方向です。

 

この左にカメラを回していくと

 

南方向です。

並木のある道が北近畿豊岡道です。

その手前に並行して福知山線が見え

ます。

さらに左にカメラを回すと

 

南東方向です。舞鶴若狭道と右

に北近畿豊岡道の春日インター

チェンジが見えます。

 

白と灰色の線はJR福知山線です。

 

北東方向です。

 

 

北方向です。

本丸下の帯曲輪が見えます。

さらに左にカメラを回すと

 

黒井城は保月城とも言われます。

 

標高356mの三角点があります。

 

天空の城と言われる竹田城と同じ

ように、秋冬の冷えた朝に雲海が

見られます。

(道の駅丹波おばあちゃんの里より)

 

「丹波の赤鬼」と言われた赤井直正

は「甲陽軍鑑」でも「名高キ武士」と

して、徳川家康・長宗我部元親らと

並んで丹波の赤井悪右衛門と記さ

れています。

また、司馬遼太郎の小説「貂の皮」

では、賤ケ岳七本槍で有名な、脇坂

安治が単独で、この黒川城本城ま

で乗り込んで、開城を説きますが、

赤井直正は説得に応ぜず、安治

の勇気をたたえて、貂(てん)の皮

で出来た槍の鞘を贈ったそうです。

 

隣国但馬の山名氏が丹波に攻め

込んだとき、信長から安堵された

領地だけを守ればよかったのに、

但馬の竹田城まで占領したのが

信長の怒りをかって丹波攻めに

なっていますので、世の中難しで

すね。

 

今回はここまでで、明日からは

緩やかコースを下ります。この

道は廃城後に出来たようです。

 

 

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