福知山城(続日本100名城) 6 天守内部 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は天守内部です。

展示物の一部を紹介します。

是非訪れてすべて見て欲し

いです。

 

天守内に入ると福知山市の大きな

地図があります。いちばん下には

氷上郡があり、最後まで光秀に抵

抗した赤井氏の領地がありました。

福知山を支配した頃には、周辺の

国人のみならず、篠山盆地の八上

城の波多野氏までも光秀に臣従し

ました。しかし、氷上郡の黒井城主

赤井直正らが光秀に抵抗していま

した。

黒井城は福知山城のこの後で紹

介します。

中心部を拡大すると

 

福知山周辺地図です。

さらに拡大すると

 

以前にUPした地図です。

 

丹波攻略では一番の難題が、丹波の赤鬼

と言われた黒井城の赤井直正でしたが、

第一次攻略失敗の後で、赤井直正が亡く

なります。それで二次丹波攻めが成功し

ますが、信長が人質となった波多野秀治

を殺したので、八上城の人質となってい

た光秀の母が、八上城で松の木に縛ら

れて処刑されました。これが光秀謀反の

1つの原因になります。

 

明智光秀が来る10年前に、福知山の

塩見氏は黒井城の赤井直正に敗れて、

塩見氏の分家などは、氷上郡の黒井

城主赤井(荻野)直正の影響下にあり

ました。

 

福知山城復元天守の模型です。

江戸時代1700年頃以降です。

暗いので少しブレました。

 

天守の狭間と石落としです。

 

天守の狭間と石落としです。

 

江戸時代の福知山城模型です。

赤点は銅門番所のあった所です。

 

光秀軍が使ったとされる槍の刃です。

 

上段の間で光秀と重臣が相談し

ている想像場面です。

 

戦死した部下への供養寄進状です。

足軽・中間までも平等に記されてい

ます。ただし、私の想像では中間も

名字を持っていたが、身分が中間

なので書かなかった可能性もあり

ます。江戸時代には名字を持つ人

が多かったのですが、武士以外は

公表してはいけない身分制度があ

りました。(手はガイドさんの手です)

 

明治維新で廃城後の

福知山城の古写真です。

本丸の石垣のみが残っ

ています。

 

福知山城の古写真です。

明治の廃城後での撮影でしょう。

このほかにも何枚も古写真があ

りました。

 

江戸時代の福知山城古絵図です。

天守の下に本丸があり、

その下にある広い平地

が二の丸御殿でしょう。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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