延岡城(続日本100名城)5 本丸と藩主内藤家 | みどりの木のブログ

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昨日の続きで今回は本丸と内藤家です。

 

本丸から二の丸を見たところです。

毎年10月の「天下一薪能」イベントの

あと片付け中です。千人殺しの石垣を

バックに薪能をするそうです。

 

1670~1683年の古絵図です。

 

本丸です。

 

福島県いわき市の、磐城平の内藤政樹が

大規模な百姓一揆で不始末があり、延岡

も表高七万石で同じですが、実高は13万

石もあったといういわき市から実質6万石

の減封で延岡に転封になります。譜代の

大名ですが厳しい処分でした。詳しい経

緯は洪水や凶作など天災で藩財政破綻

し、重税を課しました。このため、1738

年に元文百姓一揆と呼ばれる大規模な

百姓一揆が発生します。この一揆では2

万人もの群衆が城下に押し入って役宅

や町役所を破壊しました。内藤政樹は

これを力によって弾圧し、百姓の要求を

退け、指導者28人を捕らえてそのうち

7人を鎌田河原で処刑します。このこと

が幕府に露見して転封となり、延岡に

来ています。外様なら改易というほどの

出来事でした。

 

内藤政樹(1706~1766年)肖像画

です。享年64

 

映画「超高速参勤交代」で湯長谷藩の

内藤家は磐城平の内藤家の分家で、

1万石でした。本家の磐城平の内藤家

の藩主が内藤政樹で少しだけ出ていま

す。この内藤政樹こそ延岡藩内藤家の

初代藩主です。地名・人名は実在のも

ので、分家の湯長谷藩内藤家は明治

維新まで国替えがなくいわき市にあ

りました。1万石なので陣屋のはずで、

映画に出ていた城は立派過ぎます。

 

最後の藩主内藤政挙(まさたか)氏の

銅像が本丸にあります。

前回の下写真で見えていた像です。

 

前回UPの⑨の所です。

内藤政挙氏のうしろ姿が見えます。

内藤政挙氏は幕末から昭和にかけ

て延岡の教育や産業発展に尽くし

たため銅像になっています。

内藤家が所有する、日平銅山の

余剰電気を、安い料金で町民に

供給供給しています。

「延岡の父」と言われています。

 

内藤家の古写真です。右から2人目が

内藤政挙氏です。

 

 

 

殉国慰霊塔です。

 

日露戦争の戦病死者の招魂碑です。

 

Bの辺りには庭園があります。

江戸中期に庭園は描かれていませ

ん。また、内藤家時代は下図にある

所に藩主御殿がありました。

本丸に御殿があると、千人殺しの

石垣が崩れると危険ですよね。

 

有馬家時代の地図なので、有馬時代

以前から藩主御殿はここの小丘でした。

下図にあるように、現在は御殿跡が

内藤記念館になっています。

 

赤下線に内藤記念館があります。

 

ネット上にあった内藤家時代の古絵図です。

上図⑨の再建されなかった、天守代わりの

三階櫓が描かれていません。

 

Bの辺りの庭園です。

状態から見ると江戸時代ではなく

明治以降のものです。

 

庭園を縦に見たところです。

 

庭園の所にある城山ヤブツバキの

解説板です。いろいろな色の花が

咲きます。

 

Bの辺りに井戸跡もあります。

 

井戸跡です。

 

下図三の丸に通じる道路です。

小さい建物はお手洗いです。

 

現在地にある案内板です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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