引っ越し大名と【ゆるにゃんこ占い】 | みどりの木のブログ

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アメーバさんの「ゆるにゃんこ占い」を

しました。よくわからない結果でした。

 

続いて今日は

 

映画「引っ越し大名」を見ました。

今回はその紹介と感想です。

 

公式サイトから引用しています。

 

原作:土橋章宏  

監督:犬童一心  「のぼうの城」などの作品があります。

 

原作本です。

 

メインキャストは

星野 源(姫路藩書庫番の片桐春之介)

高橋一生(片桐春之介の親友:鷹村源右衛)

高畑充希(前引っ越し奉行の娘:於蘭)

 

その他の出演者は

及川光博(藩主の松平直矩)

などです。

 

始まりのあらすじは

江戸城で田沼意次にセクハラ(男色)をされ

た姫路藩主の松平直矩が、直矩自身も好き

な小姓がいるので、はねのけて田沼に怪我

をさせます。覚えておけと言われた結果が、

姫路から豊後日田への国替えでした、しかも

藩の石高が半減の7万石になります!!

 

田沼意次肖像画

 

(実際は親藩の仕置きで不手際があったの

で、石高半減と国替えになったようです)

姫路藩書庫番(司書)片桐春之介(星野源)

は、書庫にこもりっきりで人と話すのが苦手

な引きこもり侍。
前任者が亡くなっていたので、家老が本好

きなので適任と、引っ越し奉行に任命され

ます。断ろうとしますが、ならば切腹じゃと

言われて泣く泣く引き受けます。姫路(兵庫)

から日田(大分)へ、1万人近い全ての藩士

とその家族全員で移動するという、桁外れ

の費用と労力がかかる“超難関プロジェクト”

しかも藩の財政は逼迫しているため、商人

から借金までしなければならない始末、引っ

越しを成功させるためには家財を減らして、

人も減らし(リストラ)の必要がありました。

なので、誰も引き受け手のない状態でした。
突然の大役に怖気づく春之介は、幼馴染

で武芸の達人・鷹村源右衛門(高橋一生)

や、亡くなった前任の引っ越し奉行の娘で

ある於蘭(高畑充希)に助けを借りることに。
移動人数10000人!距離600km!

いろいろな苦労が描かれています。


主人公の片桐春之介は架空の人物です

が、書庫に引きこもりの人が活躍すると

いう、ひきこもりの人が増える現代にふさ

わしい内容です。

 

実際の松平直矩(まつだいら なおのり)

 

越前大野藩主松平直基(結城晴朝に養育

され、父秀康と他の兄弟が松平氏に改名

したため、養祖父から下総結城氏の家督

(名跡)を継承した。しかし祖父結城晴朝

の死後に松平氏を称した、家紋は結城氏

のものを継承します。結城の名跡は家臣

の家に残したようです。幕末に前橋藩主

として明治時代を迎えました。江戸時代の

間には姫路藩、山形藩、白河藩、川越藩

など何度も国替を繰り返しており、映画の

第2代当主直矩は一代で何度も転封させ

られました)の長男として生まれる。直基

は出羽山形藩さらに播磨姫路藩に国替を

命じられますが、封地姫路に赴くまえに

江戸屋敷で死去します。藩主は国替の時

は江戸屋敷にいることが多いそうです。

(映画では旅の途中籠の中で死去します)

直矩は慶安元年(1648年)に5歳で家

督を相続したが、姫路は西国の抑えとな

る要地であったため、幼少の直矩には

不適当と判断され、翌年1649年に越後

村上藩に国替となります。

 

松平直矩肖像画(1642~1695年)


成人後の1667年に、再び姫路に復帰

します。親族の越後高田藩(藩主松平

光長とは従兄弟の関係)の、御家騒動

(越後騒動)に際し、出雲広瀬藩主松平

近栄と共に一族を代表して騒動の調整

を行うが、両名共に不手際を指摘され、

直矩は領地を半分以下の7万石に減ら

され、閉門の上で1682年に豊後日田

藩に国替を命じられました。
4年後の1686年に、3万石加増の上

で出羽山形藩、さらに6年後の元1692

年には5万石加増の上で陸奥白河藩

へ移され、格式の上では従前の15万

石に復帰したが、生涯で幾度も国替

を重ねた結果、家中は多大な借財を

負うことになり、「引越し大名」とのあだ

名をつけられました。

播磨姫路藩主→越後村上藩主→播磨

姫路藩主(再)→豊後日田藩主→出羽

山形藩主→陸奥白河藩主と異動して

います。映画ではやっと姫路に戻った

のに、石高半減で江戸から遠い大分

の豊後日田に国替の時を描いていま

す。『土芥寇讎記』には「美小人を愛

せらること、この体の事は非とすべか

らず。聖人にも一失あり、況や凡人を

や。その上偏愛の心なしといえば害

あるべからず。」と書かれていて、彼

は美少年好きではあるが、美少年に

溺れてはいないとあります。
元禄8年(1695年)死去、享年54

 

鑑賞した時の映画館は十数人の観客し

か居ないので寂しかったです。

とてもコミカルな楽しい映画でしたが、

現実と違う設定なのが困りものです。

 

今回はここまでで、明日から川越城紹介

です。

 

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