昨日の続きです。
今回が基肄城の最終回で、「いものがんぎ」
からです。
下図⑦から見た「いものがんぎ」です。
これは基肄城の土塁線の一部を、
4つに切り割って造られた堀切です。
中世の木山城築城で造られました。
形状が芋畑の畝に似ていることから
そう呼ばれます。
いものがんぎを通る所です。
いものがんぎを通る所です。
いものがんぎを通過したところです。
振り返り⑩の辺りから撮影しました。
上図⑩と⑪の間にある基肄城の土塁跡です。
下の方に草スキー場が見えます。
これは基肄城のパンフから引用の土塁線です。
右が北の現地案内板です。
古いのでひび割れしています。
⑪にある基肄城の石碑です。
案内石碑を拡大しました。
ここで記念撮影しました。
背景に⑫の休憩所があります。
下図13の所です。
⑬から北方向を見たところです。
大宰府方向です。反対方向は
⑬から⑥方向です。
草スキー場で咲いていた黄スイセンの花です。
その他にパンフレットから引用させてもらうと、
南水門跡です。
谷部であることから石塁が築かれています。
現在の長さ26m、高さ8.5m、上部の幅が
3.3mほどあります。
去年の台風14号により被害を受けています。
右側の道には南門があったと考えられていま
す。
水門跡の解説板です。
現地の解説板です。
黄色い線が土塁跡です。
現在も水が流れている南水門跡
そのほかの水口跡もあります。
北東門跡です。
東北部にある土塁(幅5m、高さ3m)で、
幅2.7mほどを切り割って造られた門跡
です。左右両側に門柱の礎石が残って
います。
大礎石群です。
城内にある礎石群で特に大きい礎石です。
この建物は10間×3間の大きさです。他に、
米蔵や武器庫棟が40棟ほど確認できます。
ほとんどの建物は5間×3間の大きさです。
これで基肄城の紹介は終わりで、明日から
は下写真にある水城跡の紹介です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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