私部城の紹介4 本郭から南側堀跡 | みどりの木のブログ

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今日は奈良の若草山の山焼きを見たので、

午後9時40分頃に帰宅しています。なので、

更新が遅れました。すいません

昨日の続きです。

今回は本郭から南側堀跡を歩きます。

 

下図⑨の所です。

 

 

 

⑨から⑭方向の写真です。

 

⑭の所です。

中央辺りに私部城の石碑が見えます。

細道に入り本郭へ行きます。

 

⑮の所です。さらに進むと

 

⑯の所です。高くなった所が本郭です。

上ると

 

⑰の所です。

 

主郭中心部で⑱の所です。

この辺りに安見右近の屋敷があったのでしょう。

右近が信長から寝返った、松永久秀に暗殺

されてからは、安見新七郎が城主になります。

しかし、右近の妻である佐久間信盛の娘が、

大きな発言力があったようで、江戸時代にな

ると私部城は「後家が城」と呼ばれました。

さらに北の端まで歩くと

 

主郭北の端です。

この端には塀があって、塀越しに火縄銃が撃

てる装備があったと考えられます。

平城で攻めやすそうですが、火縄銃があると

突撃がし難い時代になっていました。

下に見える田んぼは、戦国時代は湿地でした。

 

次に南側にあった堀跡に行きました。

 

 

⑳のところから南側を見ると

中央に堀があります。1月7日の冬なので

水がありませんでした。

 

上の縄張図②から見ると

 

 

 

L字型の堀が残っています。

 

縄張図③の所に行くと

 

縄張図③のところから②方向です。

この辺りの堀は埋め立てられました。

この反対側は

ここも水かありませんが、縄張図③の堀跡

の池です。

 

縄張図です。

 

上図③の北西側は

2郭が見えています。

 

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