今日は奈良の若草山の山焼きを見たので、
午後9時40分頃に帰宅しています。なので、
更新が遅れました。すいません
昨日の続きです。
今回は本郭から南側堀跡を歩きます。
下図⑨の所です。
⑨から⑭方向の写真です。
⑭の所です。
中央辺りに私部城の石碑が見えます。
細道に入り本郭へ行きます。
⑮の所です。さらに進むと
⑯の所です。高くなった所が本郭です。
上ると
⑰の所です。
主郭中心部で⑱の所です。
この辺りに安見右近の屋敷があったのでしょう。
右近が信長から寝返った、松永久秀に暗殺
されてからは、安見新七郎が城主になります。
しかし、右近の妻である佐久間信盛の娘が、
大きな発言力があったようで、江戸時代にな
ると私部城は「後家が城」と呼ばれました。
さらに北の端まで歩くと
主郭北の端です。
この端には塀があって、塀越しに火縄銃が撃
てる装備があったと考えられます。
平城で攻めやすそうですが、火縄銃があると
突撃がし難い時代になっていました。
下に見える田んぼは、戦国時代は湿地でした。
次に南側にあった堀跡に行きました。
⑳のところから南側を見ると
中央に堀があります。1月7日の冬なので
水がありませんでした。
上の縄張図②から見ると
L字型の堀が残っています。
縄張図③の所に行くと
縄張図③のところから②方向です。
この辺りの堀は埋め立てられました。
この反対側は
ここも水かありませんが、縄張図③の堀跡
の池です。
縄張図です。
上図③の北西側は
2郭が見えています。
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