昨日の続きです。
今日は裏庭から内堀を渡り、二の丸に当たる所に
行きます。
主屋①の裏出口です。下図③の米蔵が見えます。
配置図です。
上図②の米蔵は
右側が②の米蔵です。
大庄屋クラスになると、裁判をする白洲とか
あるのですが、それが無いのは奈良町奉行
所が近かったためと考えられます。
白壁の建物は新蔵です。その左は内堀です。
中邸から奈良町奉行所は直線で10km程度
なので、1日で往復出来ました。
南側に大和川があり、江戸時代はその水運
で、米などの物資を大坂に運びました。
米蔵まで歩きます。
主屋の高さより北の米蔵は少し高い場所に
あります。これも洪水のことを考えてのこと
でしょう。
北側の米蔵③です。④の扉が左奥に見え
ます。
④の扉を出ると
内堀が見えます。
石橋を渡ると二の丸?です。
おかみさんの案内はここまでです。
おかみさんはこの家で生まれて、
婿養子さんを取って家を継いだそ
うです。小さい頃は遊んでいて堀
に数回落ちたそうです。婿養子さ
んはこの家が広大なので維持費
がかかり大変です。個人で所有
するのは厳しい時代です。
④の左側です。竹藪の向こう側に外堀があり
ますが、竹藪で見えません。
内堀を渡ります。
堀を渡り⑤から南側を撮影しました。
右端が乾蔵です。これは小さいお城ですね。
お城なら乾櫓と言いたいところです。
雨が長い間降らないと堀の水が赤くなるそ
うで、雨が降ると元に戻るそうです。
稀に干ばつで堀の水が無くなるときがあり、
堀の魚がたくさん死んだそうです。
⑥の辺りから撮影すると
⑥の辺りから乾蔵方向です。
右側に石田家の庭が見えます。
⑦の辺りに行きます。
⑦の辺りから見た⑧方向への道です。
さらに進むと
郎党の屋敷が出来そうな感じの広さです。
さらに進むと
持仏堂の入口が見えます。
⑧の辺りから見た内堀です。
反対側⑪の辺りは
⑪から南方向の撮影です。
今日はここまでです。明日が最終回です。
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