大垣城の紹介2 惣堀 東総門跡 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は大垣駅前から惣堀に歩きました。

 

下図①のJR大垣駅南口前です。

 

美濃路経路図です。濃茶線は美濃路です。(上が北)

美濃路は江戸時代に、東海道宮宿と中山道垂井宿

を結んだ、脇往還(脇街道)です。全長約57kmです。

 

現在地にあった大垣観光案内図です。(上が北)

ピンクの線に沿って歩きました。赤い線は美濃路です。

ピンク②の方に歩きました。

 

 

 

寛政10年(1798年)の創業以来、220年にわたって

「水の都」と言われる大垣の地にて良質な水を生かした

「金蝶園饅頭」や「水まんじゅう」 といった大垣名物と言

われる饅頭屋さんです。

 

店頭販売していました。

 

さらに南に歩くと

 

下図②から③方向を撮影した、大垣城の惣堀だった水門川があります。

 

 

 

ここ大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」最後の地です。

なので、芭蕉の句碑があります。

山形県尾花沢市で詠んだ句で、

「涼しさを 我が宿にして ねまる也」

とあります。

 

水門川にきれいな水が流れています。

この川は自然に出来た川なので、埋め

立てられずに残りました。

 

③の小原橋です。

 

次の橋から水門川が左にカーブする

貴船広場を見たところです。

 

貴船広場です。

この川の向こう側に、東総門がありました。

 

石碑の向こうの道は名古屋方面へ行くみちです。

ここに東総門がありました。

 

東総門の解説板です。

 

④の拡大図です。(上が北)

川と書いたものが総掘りです。楼門が東総門です。

 

1645年頃の東総門付近の古絵図です。天守内展示古絵図です。(上が北)

枡形のような構造でした。

 

江戸時代の東総門絵図です。下に川があります。(右が北)

この川は惣掘です。

 

東総門跡から名古屋方向(東方向)を見たところです。

ここから少し行くと惣堀がありました。

この反対側は

ここに名古屋口御門がありました。

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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