昨日の続きです。
今日は清須城石垣などの紹介です。
下図③から撮影の清須城模擬天守です。
現在地にある案内板です。
模擬天守は本来の清須城本丸の対岸にあります。
天守の記録が残ってないので、その時代の天守か
ら想像して造られています。本丸跡は東海道本線
と新幹線の線路が横切っています。
清洲ふるさとのやかたです。
2018年5月7日の午前8時頃なので、
まだ開館していません。
この右側③の所に、発掘で発見された
清州城石垣があります。この石垣がここ
では清州城唯一の遺物です。その他に
は、名古屋城の清州櫓もあります。
清州城の石垣です。
根石の下には胴木が置かれてあります。ここから
下流200mほどの所で発見されました。石垣の下
には枕木と胴木が敷かれて、五条川の軟弱な地盤
を補強しています。石垣の積み方は野ずら積みと
言われる、石を加工せずに積んだ石垣です。
石垣の解説板です。
現地の石垣解説板です。
上の石垣の胴木は新しい偽物です。
名古屋城の清州櫓に展示されていた
本物の胴木は
清州櫓石垣で使われていた、古い胴木です。
IVSテレビ制作で「ザ!鉄腕!DASH!!」を担当している方
からのメールで、この写真を使用したいとの連絡がありました
ので使っていただきました。たまにマスコミで使用したいとい
うお話がきますが。UPの後なのでこれまで、ブログでは報告
していませんでした。
次に①の所に行きました。
少し高くなっています。
江戸時代から清州城跡として、尾張藩が
管理していました。現在は清須市有地です。
手前の解説板は
清州城概要解説板です。
当時の歌に「思いがけない名古屋が出来て、花の清州は野となろう」
というのがあります。建造物・商人なども強制的に名古屋に持ってい
かれました。
織田信雄の大改修後の清州城です。(上が北)
東西1.6kmで南北2.8kmもありました。
当時の清州城の想像絵図です。
丘になっている所は本丸辺りと
考えられます。
近づくと
この辺りに天守があり、ここに信長が住んでいたと
考えられます。桶狭間の戦いもここで敦盛「人間五十
年・・・」と舞って、出陣したかと思うと感激です。
石碑があります、
拡大すると
「右大臣織田信長公古城」と書いてあります。
織田信長公お社です。左の石碑には清須城霊碑とあります。
清州城本丸天守台の辺りです。
今日はここまでです。明日に続きます。
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