名古屋城の紹介 7 本丸搦手枡形と清正石 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は本丸搦手枡形と清正石です。

 

下図⑨から撮影しました。本丸搦手枡形は右端です。

テントではコスプレが出来ました

 

鯱鉾のかぶり物などがあります。

下図⑩の本丸搦手枡形が後方に見えます。

 

現地案内板です。(上が北)

 

上図枡形内⑩から⑨方向を撮影すると

右端に清正石が見えます。石垣の向こうに本丸御殿が見えます。

ここに戦前は本丸搦手枡形門(本丸東一之門)がありました。

 

本丸東一之門です。

ありしころの本丸東一之門古写真です。右端に清正石があります。

 

本丸東枡形門の現地解説板です。

1931年に撮影された古写真を拡大すると

1945年に空襲で焼失した東北隅櫓が写っています。

東一の門と二の門も1945年の空襲で焼失しました。

枡形を囲っていた多門櫓は明治24年の濃尾地震で

大破して破却されました。

 

 

 

⑩から撮影の枡形内です。現在東二之門跡には

二之丸東二之門を移築しています。

 

現地案内図です。

 

二の丸に体育館が建設されるときに、

大型車両通行可とするために移築されました。

 

清正石です。

 

名古屋城最大の清正石解説板です。

実際には黒田長政の担当でしたが、

加藤清正のように伝わりました。

 

清正石の右側にも大きな石があります。

この石垣の上には多門櫓がありましたが

明治の濃尾地震で壊れています。

枡形の外⑭から撮影した

⑭から撮影の、移築された二之丸東二之門です。

 

 

 

 

 

土橋の右側です。東北隅櫓がありません。

 

土橋の左側です。ここにも空堀の底に補修中の

搦手馬出石垣の石が置いてあります。

右側が本丸の石垣です。

 

今日はここまでです。明日は本丸御殿です。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。

毎日午後8時半頃に更新しています。
「相手わかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 
お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。