昨日の続きです。
今日は正門から西北隅櫓までです。
下図の現在地の辺りから撮影した大天守です。
画面左上に工事区域のクレーンが写りました。
現在地にある案内板です。(上が北)
城全体の案内図です。上の案内板はこの左半分です。
上図で西の丸③の辺りから、本丸を撮影しました。
ここは写真屋さんが記念写真を撮る所です。
⑫の西南隅櫓とその右側に空堀の内堀です。
遠くに見える櫓は⑪の東南隅櫓です。
手前が西南隅櫓で遠くに見えるのが大天守です。
内堀は空堀です。
空襲で焼ける前の古写真です。
大・小天守と石垣の上にあった
多門櫓も焼けていますね。
次に下図③から⑦に歩きました。
現在地にある案内板です。(上が北)
③から⑦の中間にある鵜(う)の首は
鵜の首は西の丸から深井丸への土橋のようになっています。
ここで敵の侵入を防ぐ構造ですが、こういう構造は珍しいです。
鵜の首です。
堀の左が西の丸で、右が深井丸です。
鵜の首の解説板です。
鵜の首の描かれた、江戸時代後期の地図です。
鵜の首の土橋を渡ると、深井丸ですが
少し高くなっています。
深井丸の解説板です。
江戸時代は武器庫として使用されました。
北西端には北西隅櫓(清須櫓)があり、東
端には塩蔵がありました。
深井丸です。
右奥には乃木倉庫が見えます。
④のところにある乃木倉庫です。
明治の初めに名古屋鎮台の時期があり、
乃木希典がレンガで倉庫を造りました。
現在は漆喰で塗られて壁が白いです。
天守が焼ける空襲の直前に障壁画が
ここに移動保管されて焼失を免れてい
ます。
鵜の首土橋から、少し北に歩くと右側に天守が見えます。
大天守です。右端は小天守です。
手前は空堀の内堀です。
建て替え工事が今年から始まるので、
現在は石垣だけに足場が組まれてい
ます。
左が大天守で、右端は小天守です。
大・小天守を繋ぐのは剣塀です。
剣塀の解説板です。
ズームUPすると
塀の軒に槍の穂先が並んでいます。
⑦から見た大天守です。
明治4年から12年の間に撮影された大天守です。
足場が無いので扇勾配の石垣が見えます。
⑦から見た大天守です。周囲は空堀です。
外堀よりだいぶん高いので水堀に出来ま
せんでした。
天守の石垣は加藤清正が担当して、
扇勾配の石垣です。
北西隅櫓の方に歩きました。
⑤から撮影した三階北西隅櫓(清須櫓)です。
今日はここまでです。明日は北西隅櫓(清須櫓)の内部からです。
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