ワルシャワ紹介 6 世界遺産歴史地区 城壁都市 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

 

旧市街の中心部です。

 

今日は世界遺産歴史地区の城壁都市

についてです。ナチス・ドイツにより破戒

された旧市街中心部は、第二次世界大

戦後に17~18世紀の町並みを忠実に

復元したもので、再建された市街が世界

遺産に登録されたのは世界初でした。

 

旧市街中核の城壁都市部です。下写真の①から見たところです。

ここにも城壁と堀があったのですが、破壊されて広場になってい

ます。

 

ジグムント3世はこのワルシャワに遷都して、

ポーランド王国の首都を始めてワルシャワに

した人です。ジグムント3世は1587年に、ポ

ーランド王ステファン・バートリの死を受けて、

国王自由選挙でポーランド王に選ばれました。

ヴァーサ家出身のジグムントがポーランド王

に選ばれたのは、母親を通じてヤギェウォ朝

の血を引いていたのと、リヴォニア戦争でス

ウェーデンと同盟を結んでいたからです。両

国(彼はスウェーデン国王も兼任したが、カト

リック信者なのでポーランドに居住します。ス

ウェーデンはプロテスタントでした)が共闘し

てバルト地域を領有し、モスクワ大公国の

バルト海進出を阻むために、選挙でポーラ

ンド国王に選ばれました。

 

ジグムント3世の肖像画です。

 

 

城壁跡は地面に、赤レンガで印ラインが引かれています。

城壁の内側から見たところです。

 

グーグルより引用の写真です。

 

ビスワ川の河岸段丘と書いたところです。

左端がビスワ川方向です。

 

①付近からビスワ川方向を見たところです。

低くなっているのが分かります。

 

②の部分には城門があります。

②の所にある城門です。この写真の右側は

晴れていたのに急に曇ってきました。

 

空堀になっています。

さらにこの右側は

空堀です。


ワルシャワの建設は13世紀に遡ります。

当初は堀と土塁で囲まれていましたが、

1339年までに煉瓦の城壁による城郭

都市となります。市街はマゾフシェ公の

城(1596年にポーランド王の城となる)

の周りに開発されました。マゾフシェ公国

は、1138年にポーランド国家の分裂に

伴って創設された公国です。1526年に

ポーランド王国によって再統合されます。

 

城壁都市部です。

 

マゾフシェ公の城を調べましたが、古地

図や古絵図が無く想像です。

 

城壁都市の周囲には堀がありますが、

水堀fではなく空堀の可能性もあります。

 

1832年のワルシャワ古地図です。

城壁都市の際までビスワ川が描か

れています。

城塞都市はこの時代には、周辺部

に発展しています。赤い線は外堀

城壁でしょう。

外に発展すると、旧城壁内の家は

多くが貧民街となったそうです。

 

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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