イスラエル旅行記26 ホテル周辺を散歩 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今日はホテル周辺を散歩した写真です。

 

19世紀の中ごろまで、エルサレムは人口が

約1万5千人程度で、住人は城壁の中に住ん

でいました。門は夕方に閉められ、日の出に

なると開けられました。

 1860年になると、エルサレムの城壁の西

側外に、モーゼス・モンテフィオールが風車

を建設し「平和な住まい」と呼ばれる住宅地

を造りました。風車は住民が農業で生計を

たてるための物です。

 

 

ユダヤ人も多く住んでいたので、他のユダヤ

人たちも、それに続いて住宅を建てました。

それが現在の西イスラエルです。

1967年までエルサレム旧市街はヨルダン

領でしたが、イスラエルが制圧すると、西

イスラエルの町も発展しました。国の施設

の一部も移転し、アメリカも大使館をここに

置きました。

 

西イスラエルの新市街にある

ホテル周辺を拡大すると

ベン・イェフダ通りは歩行者天国になっています。(地図は「地球の歩き方」からの引用です)

 

ベン・イェフダ通りです。

 

車が来ないのでショッピング街のある

公園のようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

ケーキ屋さんです。

 

イスラエルの帽子キッパのお店です。

 

 

 

 

ここが歩行者天国の左端の地点です。

 

ピンクのマーカーの所が歩いた道です。

 

Lalineという場所を通り、路面電車通りに行きます

 

 

 

 

 

おもちゃ屋さん

 

洋服屋さん

イスラエルの通貨はシェケルといい、

1シェケルは日本円で約30円です。

 

このお店の屋根には穴が開いていました。

拡大すると

修理中なのか分かりませんでした。

 

路面電車通りに出ました。

HaPaamonの字がある所です。

HaPaamonの字がある所から、路面電車通りを歩きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

路面電車通りです。

 

 

 

🄬Villageの字がある所から戻ります、

 

 

 

 

 

 

ホテルに戻る左側の道です。

道路中央の傘の辺りで、飲み物を飲

みました。マシンガンを持った警官が

バイクで見回っていました。

 

 

ホテル前の広場です。

 

今日はここまでです。明日は中断して

アジサイの花写真です。

 

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