昨日の続きです。
今日は大手門から本丸までです。
下図①から見た西の丸庭園入口です。
木々のみどりがきれいです。
現在地にあった地図です。(上が北)
①の南側にある大坂城公園城内詰所です。
今回見たイベントの立て看板がこの辺りにありました。
火縄銃発砲や行列がありましたが、後日UPします。
次に②の所からの眺めは
②からの内堀の眺め
カメラを右に回すと
さらに右に回すと
内堀と本丸入り口の土橋が見えます。
この辺りの地盤は上町台地のへりの
高い方なので、内堀は空堀です。
もっと掘れば水堀になったと思います
が、岩石の地盤が固くて掘れません
でした。内堀の北側は低い方なので
水堀になっています。この辺りは石山
本願寺跡と言われています。
1417年の古絵図ですが、石山御坊(石山本願寺)が描かれています。
大阪城はこの石山御坊の跡地に建造されました。
下中央に大坂の陣で徳川秀忠の本陣になった、古墳の岡山も描かれて
います。亀が池というのは外堀辺りで低くなっていましたので、外堀は今
でも水堀です。
この時代では、大和川は淀川と合流していました。
②の所にある加工跡が残る、
石垣に使用されなかった石です。
黒く焼けているのは戊辰戦争当
時の火災のためです。鳥羽伏見
の戦いの後で、官軍が大坂城に
大砲を打ち込んで炎上したそう
です。大砲は大坂城から離れた
所からでも本丸に届く炸裂弾だ
ったために、徳川慶喜は江戸に
逃げて居ませんでした。
③の南仕切門跡です。江戸時代は右側の石垣の上に、
2階の太鼓櫓があり、太鼓で時を知らせていました。
解説板です。
現在地の地図を拡大しました。
仕切門東側の石垣です。戊辰戦争時の火災の跡が
黒くなっています。
③の仕切門の中に入り、振り返り撮影しました
2階太鼓櫓は向こう側の石垣の上にありました。
次に④から見た修道館です
この日は合気道の稽古をしていました。
④から本丸桜門方向です。
桜門の手前には乗り合い電気自動車の
桜門駅があります。
最後は⑤の辺りの桜門です
手前土橋の先に桜門が見えます。
桜門の中に天守閣が見えます。
江戸時代はここも枡形構造でした
ので、天守閣手前の巨石(タコ石)
の上には多門櫓があって、天守閣
は見えなかったでしょう。
桜門です。この中が本丸です。
門の上を飛行機が飛んでました。
ズーム撮影すると
桜門です。
さらにズームUPすると
日本航空の飛行機です。
伊丹空港へ着陸態勢です。
今日はここまでです。明日に続きます。
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