昨日の続きです。
今日は玉泉院丸庭園から旧第6旅団司令部を通り、
二の丸御殿・藩庁跡に戻ります。
玉泉院丸の長い階段を上がった所は
旧第6旅団司令部が見えます。下図⑳から⑯方向を撮影しました。
右側の石垣の上は二の丸です。
現地の観光案内板です。
旧第6旅団司令部です。江戸時代は
藩主の側室住居曲輪でした。
旧第6旅団司令部です。
明治31年に建てられた木造平家建て、床面積196㎡の建物です。
当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため、フランス様
式で全国に同様の建物が建てられました。戦後の金沢大学時代に
は、教育センターとして利用されていました。
金沢城内には第9師団が置かれて、その下に第6旅団がありまし
た。1940年(昭和15年)8月から師団の衛戍地(えいじゅち)は
満州となり移転しました。その師団司令部は、昭和45年に移築
され、その際両翼の一部が切り縮められました。陸軍経理部に
よって設計された建物です。現在その師団司令部は石川県庁舎
石引分室として使われています。
旧第9師団司令部です。現在は移転して城内にはありません。
2階部分だけ見ればそっくりですね。
この石垣の上が二の丸御殿跡です。
この辺りの曲輪は、江戸時代時
藩主の側室住居があった所で、
数奇屋と言われました。
下の古絵図から二の丸と繋がっ
ていたようです。
江戸時代後期の古絵図です。
側室住居曲輪と二の丸が繋がっています。
石垣を拡大しました。石垣に刻印が見えます。
家臣のものでしょう。
きれいな切り石積みになっています。
旧第6旅団司令部正面です。
二の丸と側室曲輪を隔てる、数奇屋敷石垣です。
出口門が見えます。
右側が二の丸と側室曲輪を隔てる、数奇屋敷石垣です。
門を出て橋を渡り、旧第6旅団司令部を撮影しました。
この反対側は
下図⑰から撮影しました。(すいませんレンズに水滴がついています)
車いす印のある、黒門口方向への門跡です。
下図⑰から⑱方向を撮影しました。(すいませんレンズに水滴がついています)
左側に金沢城・兼六園管理事務所が見えます。
現地の観光案内板です。
⑱から撮影した二の丸入口門跡です。
二の丸石垣と内堀です。
二の丸の中に入ります。
下図からここも枡形になっていたようです。
江戸時代後期の古絵図です。
門の中に入り、中の⑲から枡形跡を撮影しました。
現地の観光案内板です。
今日はここまでです。
明日は二の丸内を通り、鶴の丸に行きます。
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