金沢城の紹介4 二の丸から | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今日は二の丸から

 

二の丸御殿・政庁跡です。

 

下図⑥から見た二の丸御殿・政庁跡です。

 

江戸時代後期の古絵図です。

二の丸から極楽橋を渡り、三十間長屋のある

本丸附段に行きます。二の丸と本丸附段の間

の堀は現在空堀ですが、上の古絵図から江戸

時代は水堀でした。上図から二の丸は橋爪門

より高い位置にあるので、堤防を造り堀の水を

貯めていたようです。

 

⑥から⑦に行きます。

 

 

 

極楽橋の解説板です。

極楽橋の名前の由来は、金沢御堂(浄土真宗の尾山御坊)

に由来します。本丸跡に尾山御坊が約30年ぐらいありまし

た。

 

 

極楽橋です。

左側は

 

橋の途中から橋爪門方向を見ると

江戸時代には水堀で、堀の端には堤防がありました。

橋の反対側は

こちらも堀の端は堤防があったようです。

 

江戸時代後期の古絵図です。

極楽橋をを渡ると石段があります。

極楽橋をを渡った所です。

 

現代の観光案内地図です。

 

石段を上がり振り返ると

渡ってきた極楽橋が見えます。

 

前方には

三十間長屋(重要文化財)が見えます。

明治時代の火災で焼けづに残った、江

戸時代からの土蔵です。

この長屋は武器庫・弾薬庫として使われました。

 

三十間長屋の壁です。

切石済みですが、表面の縁取りだけを揃えて、

内側を荒く残す「金場取り残積み」という技法

が使われています。

 

解説板です。

 

この反対側は

本丸への石垣があります。

この右側は

右端の方に黒金門跡があります。

 

黒金門跡です。この先が本丸ですが、

残念なことに通行禁止でした。

本丸は1630年頃から使われていま

せん。金沢大学時代は植物園でした。

 

鉄門の解説板です。

 

ここから反対側を見ると

三十間長屋が見えます。

 

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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