道明寺天満宮の梅の花1 鳥居の歴史など | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

今日から道明寺天満宮の梅の花紹介です。

去年も紹介しましたが、今年も紹介します。

今年は梅の開花が1週間ほど遅れています

ので、梅の紹介が続きます。

 

皇太子殿下の成婚記念で植樹された梅です。

白から濃い紅色までバラエティがありきれいです。

桜より見ごたえがあるのですが、寒いので観梅より

桜の花見が盛んですね。古代では桜見よりも観梅

が盛んでした。

 

最初は神門からです

道明寺天満宮の神門です。

鳥居は門の中にあります。

鳥居の起源については諸説あり、考古学的起源分かっていません。

単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えらています。

文献に徴すれば古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」(皇太

神宮儀式帳[7])と称して、奈良時代から神社建築の門の一種として

いるそうです。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立しています。

                          (ウイッキペディアより)

門の左側には土師窯の石碑があります

日本書紀の記述によると、土師氏の祖先である野見宿祢が、

天皇が亡くなった時の重臣殉死の代わりに、土偶を以て代わ

りとすることを進言した。などとあります。

この辺りは百舌鳥・古市古墳群があり、土師氏が土偶を造っ

ていました。この辺りは土師の里といいます。

名字が土師という人も多いのです。古墳を造らなくなり、土師

氏は仕事が無くなります。土師氏の出身である菅原道真の先

祖も困った末に、学問で生きることを考えて、土師から菅原に

名字を変えています。

土師連八嶋がここに土師寺を建立したのが天満宮の始まりで

す。

土師連八嶋社です。

右側の解説板は

土師連八嶋が594年にこの地に土師寺を創建したのが始まりです。

なので、歴史的には神社鳥居の起源よりも古い歴史があります。

 

神門の右側には椿の花が咲いていました。

椿の花です。

 

この神門をくぐると

 

脇の入口から入れる広い無料駐車場があります。

左側の石柱に縄を張った建造物は鳥居の原型ではないでしょうか?

 

神門を入りかなり歩くと普通の鳥居もあります。

元宮土師社と八嶋社を赤い下線で示しました。

明治の初めまで神仏混淆でしたので、上図の

下側に、分離した道明寺があります。

 

神門の扉には梅まつりポスターが貼ってあります

梅まつりポスターです。

盆梅展については2月28日とありますが、

今年は梅の開花が1週間ほど遅れている

ので、この日3月7日でも開かれていまし

た。

盆梅展のポスターです。

 

まずは土師社と天満宮にお参りしました。

手水舎です。

 

元宮の土師社です。新しい鳥居があります。

天満宮となったのは菅原道真の死後です。

拝殿をくぐり中に入ると

土師社の本殿です。

この左側には梅の木があります。

土師社の左側です。

 

背後の建物は天寿殿です。

現在は結婚式場などに使用される天寿殿の正面です。

 

天満宮の拝殿です。

この右側には

今年の大きな絵馬です。

 

手前は賽銭箱です。この拝殿と奥の本殿は繋がっている

ので、本殿内部が見えます。

 

今日は此処までです。明日に続きます。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
「相手わかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 
お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。