大坂の陣で使われた岡山砦の紹介 後編 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

 

周囲は柵で囲われていて入れません。

岡山砦はもとは古墳でしたので、周囲に昔は環濠がありました。

 

濠を含めると全長150mほどもある前方後円墳でした。

後円部が残っていますが、豪は埋め立てられました。

徳川秀忠は後円部の頂上から、味方の戦いぶりを見た

のでしょう。

 

後円部分です。遊具の滑り台の上に登り撮影しました。

 

後円部分です。遊具の滑り台の上に登り撮影しました。

 

後円部の北端です。この上が徳川秀忠の陣だったのでしょう。

高い所から家臣の働きを見るのが大将の仕事なので、ここに

立てば、家臣はいいところを見せようと頑張ります。

夏の陣では初めは大坂方の砦でしたが、大坂城に退却して

からは、秀忠の陣城となりました。

 

後円部の上は平地になっています。

 

前方部分は削られて道路と公園になっています。

 

歩道橋の上から見た後円部です。

 

 

道路の歩道橋の上から撮影した後円部です。石碑があります。

 

大阪府立農学校跡と書かれています。昔は農学校の敷地だったのでしょう。

 

東側から見た後円部です。

 

南側の前方部分の公園は

御勝山南公園になっています。

 

 

 

裸婦の銅像があります。

 

公園から道路越しに後円部を見たところです。

 

公園から道路越しに後円部を見たところです。

 

 

釈迢空(しゃく ちょうくう)の歌碑があります。

「小橋過ぎ 鶴橋生野来る道は 古道と思う 見覚えのなき」とあります。

 

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)から 1953年(昭和28年) )は、

大阪府西成郡木津村に生まれました。日本の民俗学者、国文学者、国語学者であ

り、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号しまた。このペンネームは浄土真宗の法名(他宗派

では戒名)でもあります。1900年夏に大和の飛鳥坐神社を一人で訪れた折に、9

歳上の浄土真宗の僧侶で仏教改革運動家である藤無染(ふじむぜん)と出会って、

初恋を知ったという説があります。迢空という号は、このとき無染に付けられた愛称

に由来している可能性があるといいます。

詩人・歌人でもありました。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されています。

柳田國男の 高弟として民俗学の基礎を築きました。歌人としては、正岡子規の「

根岸短歌会」、後「 アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしました。

 

この公園は昔、大阪管区気象台のあった所です。

 

ビルの所が旧大阪管区気象台で、この公園の敷地にありました。

 

 

今日はここまでです。明日は大阪府堺のイルミネーション紹介です。

 

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