修学院離宮の紹介6 中離宮客殿から中離宮の楽只軒東面まで | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。

今日は中離宮の客殿からです。

 

客殿の南側です。入母屋造で、木賊葺きの屋根のひさしは深いです。

 

1678年に東福門院(徳川和子で秀忠の娘です。後水尾天皇の中宮。

女帝の明正天皇の生母)が亡くなった後、1682年に仙洞御所(院の

御所)北側にある、女院御所の奥対面所から移築したものです。修学

院離宮を建てた費用は和子の要請により、江戸幕府から捻出された

そうです。光子(みつこ)内親王は和子と後水尾 天皇の第八皇女です。

光子内親王のために移築されました。光子内親王は林丘寺の開基で

す。

 

東福門院(徳川和子)の肖像画です。

客殿は東福門院のために造られました。

 

ピンクの線に沿って参観しています。(右が南)

 

客殿内部です。左側廊下の奥の杉戸には、

祇園祭の鉾の絵が描かれています。

この左側は

障子の向こう側に楽只軒の屋根が見えます。

楽只軒とは階段廊下で繋がっています。

床高が移築の際に低くされています。

 

右側は

杉戸の鯉の絵は作者不詳ですが、網だけは

丸山応挙の筆と伝わります。

 

 

 

左側廊下奥の杉戸にある、祇園祭の鉾の絵です。

狩野敦信の筆と伝わります。現在と飾りが少し違

います。

 

一の間です。一の間は十二畳半で、左に一間の床があり、

中央に一間半の飾棚があります。

 

一間半の飾棚は、大小五枚の棚板が、いかにも霞がたなびくように見

えることから、霞棚と呼ばれます。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚と

ともに天下の三棚と称されます。

棚の壁面には修学院八景を詠んだ色紙が貼ってあります。桂宮2代

智忠親王の御歌も貼ってあります。

左右の床と襖には、玉葉集などの勅撰集から採られた和歌と、その意

を描いた色紙が交互に貼り合わせてあります。その下には市松模様の

デザインがあり現代的です。

 

霞棚のズーム写真です。飾り金具に徳川家の三つ葉葵の御紋があります。

戸袋には更紗模様、地袋には友禅染、引手は羽子板の形です。

 

さらにズーム拡大しました。

 

カメラを上に上げて、見下ろして撮影しました。飾棚の二段目は

上から見ると三角形になっています。

右の柱の一番上には、花車を形どった七宝流しの釘隠し

があります。(小さくて見え難いです)

拡大した花車を形どった七宝流しの釘隠しです。(パンフレットより引用しました)

 

襖の引き手です。(ブレました。すいません)

葵の御紋の外側に、菊の御紋がデザインされています。

天皇家に守られた徳川家という意味でしょう。

デザインに女性のための部屋という感じが出ています。

 

 

一の間の右側にある部屋です。

 

客殿前庭(南面)の遣り水の滝口です。

 

客殿を回り込みます。(右が南)

 

客殿の東面①です。林丘寺に面しています。

この向かい側は

①に林丘寺の裏門があります。

進むと左側に

②から左に客殿の北面と、正面に楽只軒の東面が見えます。

 

②から客殿の北面です。

 

③から南方向の客殿北面です。

濡れ縁に「網干の欄干」と言われるデザインの欄干があります。

漁のあとで、岸辺に干してある網の景色を図案化したものです。

 

今日はここまでです。明日の楽只軒に続きます。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 
お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。