修学院離宮の紹介3 下離宮 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

初めに、私と同じ「みどりの木」というツィッターがあるのですが、

私とは何の関係もありません。私はこのアメブロを書くだけで手

がいっぱいで、他のSNSでは活動していません。

 

昨日の続きです。

今日は下離宮からです。

 

この総門を入ります。門柱は白木の丸太です。

 

入った所です。紅葉していました。

 

修学院離宮の全体絵図です。(参観人休所にありました)

 

下の御茶屋部分を拡大すると

下の御茶屋です。

 

御幸門へ進むと

石段のある所が御幸門です。

 

左端が御幸門です。創建当時はこの御幸門は右側にあったそうです。

塀の向こう側に寿月観の屋根が見えます。

 

御幸門です。 こけら葺きの屋根と、花菱紋の透かし彫りのある板戸です。

 

この門を開けて中に入りました。

 

御幸門を開けて中に入ったところです。

入ってすぐ右に

下御茶屋中門です。

 

この中に入ると

寿月観の御輿寄せが石段の上にあります。

 

女装した後水尾上皇がここまで輿に乗って来て、

この御輿寄せから入ることはなく、寿月観の濡縁

側に回り込んで、濡れ縁から直に上がられたと伝

えられます。

 

ここを右の方に回り込みます。

寿月観は当初もっと大きく、二階造りの「湾曲閣」や、

「蔵六庵」がありました。

 

 

池と池の間にある道を通ります。右端の方はガイドさんです。

石橋を渡ると右横に灯籠が見えます。

 

袖形灯籠です。笠塔婆の一部を切り取ったような形で、

切れ込みの上方に蛭釘があり、ここに釣燈籠を下げて

足元を照らしていました。

 

進むと

正面に中央に「櫓形灯籠」(やぐらがたとうろう)が見えます。石段を上がっていくと

 

道の左側に朝鮮灯籠が見えます。

この右側は

池になっています。

 

 

さらに上ります

 

寿月観の方に行きます。

寿月観の前面にある遣り水です。

 

寿月観の前面(東面)にある遣り水です。

 

寿月観の前面にある遣り水です。

 

遣り水の先には小さい滝がありました。

 

寿月観一の間です。、三畳の上段の間、一間半の床、

琵琶床(びわどこ)、そして飾り棚がしつらえてあります。

 

後水尾上皇はこの濡縁側から上がられたと伝わります。

後水尾上皇の上段の間(3畳)があります。この一の間

に掛かる「寿月観」の扁額は、後水尾上皇の宸筆です。

修学院離宮の完成後も、後水尾上皇は年に一度から

数度はここに来られたそうです。また、後の上皇である

享保年間の霊元上皇や、文政年間の光格上皇がしば

しば御幸になりました。

 

今日は此処までです。続きは明日UPします。

 

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