安土城の紹介7 天主台から摠見寺(そうけんじ)へ | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は天主台からです。

 

天主台から北方向の眺めです。

 

 

 

天主台の縁に上り、天主台入口方向を撮影しました。

礎石のある所が天主の地下1階でした。その周辺の

土塁と石垣が崩壊しているので、建設当時の半分程

度の広さしかありません。手前の天主台縁の土塁が

崩壊して幅が狭くなっています。

天主周辺部の土塁です。外側の石垣が崩壊して

土塁の巾が狭くなっています。

 

天主台から見た二の丸の信長廟です。天主台外周の石垣が崩れています。

 

この右側にカメラを回すと

下の古地図ではこの下に道があり、八角平に行けそうですが、

草と木ばかりで道はありません。天主台の土塁が崩壊したた

めに道が無くなったかもです。

 

 

 

現地にある天主台の解説板です。8角形の天主台ですが、

8角形は宇宙を表すそうです。

天守台の周辺部分で、石垣と土塁の崩壊があり、

それが上図下側断面図で分かります。

 

安土城郭資料館にあった安土城天主の模型です。

 

安土城郭資料館にあった安土城天主の断面模型です。

近年、加賀藩のお抱大工の家に伝わる「天主指図」が

発見されたので、この模型が出来ました。1579年信長

の命により建設されました。地下1階で地上6階の高さ

46mの天主でした。しかし、1582年には焼失しました。

 

天守台の周辺土塁上から撮影した、北方向の八角平方向です。

 

手前は天主台周辺の土塁です。石垣が崩壊しています。

 

北西方向の琵琶湖です。手前の水田地帯は昔湖でした。

 

北西方向です。遠くに琵琶湖が見えます。手前の水田地帯は昔湖でした。

下図が明治26年の地図です。

明治26年の干拓される前の地図です。

400年前の築城当時は安土山の南側にも堀があったので、

琵琶湖に浮かぶ島のようになっていました。六角氏の城があ

った観音寺城が近くにありました。

 

この後、来た道を戻ります。

 

現地の案内図です。

 

階段を上ると二の丸です。

 

黒金門枡形の石垣です。

ここを抜けて尾根の石段を下りると

上図の①の所です。

上図の①の所です。ここを右に曲がります。

 

この道を行くと

 

 

 

この上に摠見寺があります。

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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